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目次

最初のコア/零号機のコア/綾波レイとアダム/死海文書/REBIRTH(REVERSE)/父にありがとう/ラストシーンの意味/加持は何故死んだか/弐号機蹂躙の理由/大人のキス 最初のコア

 EOEパンフレットによると、レイの魂はリリスの魂の一部だったということです。パッと聞くと胡散臭い設定ですが、よく考えてみると納得がいきます。
 ご存じの通り、初号機には碇ユイがコアとして取り込まれています。西暦2004年、彼女は初号機に搭乗、シンクロ、そして暴走、ユイは初号機の中に生き続けることになりました。ここで忘れてならないのが、パイロットがエヴァにシンクロするためには、エヴァの中にコアが存在しなければならないということです。ユイが取り込まれる前の初号機、そこにはいったい誰の魂が存在していたのでしょうか。
 通例、エヴァにはチルドレンの母の魂が宿してあります。しかし、ユイの母の魂が初号機に存在していたというのは少々考えにくいことです。また、他の彼女の近親者というのも、やはり少し役不足なような気がします。では、ユイが搭乗した初号機のコアは誰か。それは、リリスの魂の一部ではなかったのでしょうか。
 まず、リリスをベースとして、初号機を建造します。そしてリリスからその魂の一部をサルベージし、初号機のコアとしたのです。リリスとは全ての生命の源らしいので、誰でもシンクロできるのでしょう。おそらく、この、誰でもシンクロできるエヴァというのが、ゲンドウ達が当初考えていたエヴァンゲリオンなのではないかと思います。リツコ曰く「他の機体に魂は生まれなかったの。ガフの部屋は空っぽになっていたのよ」ということなので、予定と違って2回目以降のサルベージは上手くいかなかったものと思われます。
 ユイは初号機に残ることを決意します。人類の未来のために。ところが、初号機にはすでにリリスの魂が宿っていました。一つの機体に2つの魂は同居できないので、リリスの魂は追い出されてしまいます(ホントか;)。初号機に取り込まれたユイに対して強制サルベージが行われますが、この時、LCLに解けていたのは、碇ユイの身体を構成していた物質と、追い出されたリリスの魂だったのです。そしてそのLCLを元につくられたのが、綾波レイなのです。さきほどのリツコのセリフ、「他の機体に云々」というのは、綾波の正体を明かす際に用いられたものですが、綾波とエヴァをまるで同格に扱っているところに、やはり、初号機の最初の魂→綾波レイという構図を見て取ることができるのです。 零号機のコア

 零号機のコアに関しては遂に、劇中で明確な答えが言及されませんでした。しかし、そのヒントは至る所にちりばめられています。
 エヴァとチルドレンの関係を考えるに、両者の間には血縁関係がなければなりません。そのことを前提にすると、綾波レイとシンクロできる零号機のコアは、レイの近親者であることが最低条件となります。ところが人工的に生み出されたレイにはそのような人間が存在ません。
 劇中で与えられたヒントのうち、最も明確に零号機のコアの正体を示しているシーンは2度あります。一つは、初号機と零号機の機体相好互換試験の際、そしてもう一つが、零号機がアルミサエルに浸食された時です。
 まず相好互換試験の際、零号機にシンクロしたシンジは、頭に侵入してくる零号機の意識の中に、コアの正体らしきものを垣間見ています。赤城ナオコ博士に殺された、最初の綾波レイです。
 そして零号機がアルミサエルに浸食された時、レイは自分の流れ込んでくる自分以外の意識に対して、「誰?エヴァの中の私?」というセリフを云っています。もう一人の綾波レイとは、紛れもなく初代レイのことでしょう。2代目レイが初代の存在を感じていたことは、シンジが初号機の中に母の存在を感じたこと、もしくは3代目が自分以前の二人を感じていたことなどから考えても不自然なことではありません。
 初代レイが零号機のコアであると考えると、シンジが零号機にシンクロできたことや、暴走した零号機がリツコを殺そうとしたことも説明できます。というわけで、零号機のコアとは、初代レイと考えるのが適切であると思います。
 ちなみに2代目レイの魂とは、初代レイの魂の一部であったものと思われます。魂の分離に関してはアスカの母の例などから考えて、エヴァ世界ではあり得るものなのでしょう。 綾波レイとアダム

 加持がドイツから密かに輸送してきたベークライトアダムは、その後全く登場しませんでした。が、ゲンドウの「アダムは私と共にある」「リリスとアダムの禁じられた融合」などのセリフを考えるに、影で重要な役割を果たしていると思われます。(ベークライトアダムをタダのサンプルであると考える説もありますが、使徒に狙われ、「人類補完計画の要」とまで呼ばれたものがそんなチープなものであるとは思えません。)
 「私と共にある」というセリフから、ゲンドウがアダムを取り込んでいるという考えもあるようですが、ここでは、アダムはレイの胎内にある、という考えに基づいて考察したいと思います。
 まず、アダムが胎児状であったということが意味深です。何らかの方法でゲンドウと一体化するという考えよりも、レイの胎内に納められたと考える方が自然です。この時、ユイの遺伝子(知恵の実)を持つレイとアダムの接触はインパクトを起こすと思われる方もいるかも知れませんが、それを云うならばゲンドウとアダムの接触によってもインパクトは発生します。それに、あくまで胎内にアダムが存在するということであって、融合するということではないのです。またレイの胎内にアダムがあると考えると、第弐拾四話でレイが宙に浮かび強力なATフィールドを展開したことも、アダムが着床したことにより母体であるレイが使徒としての力を持つようになった、というように推察することができます。だからこそカヲルはレイに対して、「キミは(アダム系使徒である)僕と同じだね」と云ったとも考えられるのです。
 何故アダムとリリスの融合が禁じられたものであるかと言えば、生命の実たるS2機関を破壊されたリリスに、生命の実を持つアダムが接触することがインパクトを引き起こすからです。そして事実、レイとリリスの融合はサードインパクトを引き起こしました。このこともまた、アダムはレイと共にあったということを裏付けます。また、EOEでレイが自らのATフィールドを保てなくなっていたのは、胎内のアダムの力が強まってきたからだと考えます。 ◆死海文書

 現存する死海文書(シカイブンショ)をかつて所有していたと云われるクムラン教団。その組織形態は、12人からなる評議会、そしてその命に従う監督からなっていたそうです。このことは、12のモノリスから構成されるゼーレ(魂)、及びそのシナリオを実行に移すゲンドウ(ネルフ:神経)の関係と一致します。さらに、死海文書には、光の子と闇の子の戦争、不完全な肉体からの逸脱など、シト対ヒトの対決、完全なる単体生物を目指す(ゼーレ版)人類補完計画を彷彿とさせる内容が書かれているのです。
 さらに、死海文書中に於ける最重要人物として、次の3人が登場します。
1.義の教師・・・クムラン教団を創設し、約束された栄光の神殿を目指す
2.邪悪な司祭・・・教団を社会的に脅かす外部の敵
3.嘘つき・・・元教団員パウロ。教団の律法を自らの意志で変更する
これを見てすぐに思い浮かぶのが、ネルフを指揮し人類の補完を目指すゼーレ(義の教師)、そしてゼーレに背信し独自の補完を計画したゲンドウ(嘘つき)です。また、ネルフを社会的に脅かす存在としては、日本国政府(邪悪な司祭)が挙げられるでしょう。この三者は加持リョウジがスパイとして属していた機関そのものです。
 死海文書に於ける嘘つきとはパウロのこととされます。パウロは、律法の遵守よりもキリストへの信仰、また神ヤハウェよりも神の子イエスを尊ぶことを広く説きました(現キリスト教)。このことは、ゼーレのシナリオを自ら修正し、(ヤハウェの仮面を被せられた)リリスではなく、ユイを宿した初号機(もしくはレイ)を補完の要として考えていたことと一致するのです。ちなみに何故パウロが嘘つきなのかと云えば、彼の考えが、教団の崇拝する原始キリスト教の考えとまるで食い違うものであったためです。つまり、教団を裏切ったパウロ同様、ゼーレに背信したゲンドウも又嘘つきと云えるわけです。
 ここで思い出されるのが、ゲンドウに対してリツコが云った「嘘つき」です。もしかするとあの台詞は、以上のようなエヴァと死海文書の関係を暗に示唆していたのかも知れません。 ◆REBIRTH(REVERSE)

 ご存じの通り「シト新生:DEATH&REBIRTH」とは、劇場版第1作のタイトルです。用語集の方でも述べているように、このタイトルには幾つかの意味が絡ませてあります。まず「シト新生」には「死と新生」「使徒新生」が、そして「DEATH&REBIRTH」のリバースには「REBIRTH(再生)」「REVERSE(逆再生)」という意味が掛けられています。どれも重要な意味を含んだものでありますが、ここでは「REVERSE(逆再生)」について考えてみたいと思います。
 用語集の方でも述べたとおり、エヴァンゲリオンの物語は、旧約聖書(世界の創造を描いたキリスト教の教典)のストーリーを逆に進行しているのです。
1.セカンドインパクト(ソドムとゴモラ)、前日に南極(街)を逃れたゲンドウ(ロト)
2.大洪水と軍事衝突(ノアの洪水と人々の堕落)
3.アダムからエヴァを創造
4.シンジに殺されるカヲル(カインに殺されるアベル)
5.アダムとリリス
6.黒き月(エデン)
以上のことから考えて、エヴァの物語が聖書を逆方向に準えていると云うことは明らかだと思います。エヴァの物語=ゼーレのシナリオ=裏死海文書。旧約聖書も含まれるという、死海文書を裏から読んだから裏死海文書だったりして(゚゚;)\(--;)オイオイ。
◆父にありがとう

 「父にありがとう、母にさようなら、そして、全ての子供達におめでとう」
これは心を補完されたシンジの素直な気持ちと思われますが、一見不可解な部分があります。そう、「父にありがとう」です。彼の父ゲンドウは非常に冷酷な人物で、シンジに対しても、厳しい態度をとってばかりでした。EOEに於いても、特にシンジからありがたがられるようなことはしていません。それでは、「父にありがとう」という台詞が宙に浮いているものかと云うと、そうでもないのです。
 そもそもシンジは、第3新東京市を訪れる前の自分には何もなかったと云っています。おそらく、先生と呼ばれる人の元で、ただ毎日周囲に流されながら嫌われないように生きている、という生活をしていたのでしょう。しかし、ゲンドウに呼び出され、エヴァンゲリオン初号機のパイロットとなってからは、人類の存亡を賭けて使徒と戦うという、非常に充実した(笑)生活を送ることが出来ました。最初は搭乗を嫌がっていたシンジも、物語後半にはエヴァパイロットとしての自分の存在価値を見出し、僅かながら積極的な姿勢も見せ始めました。つまり、彼にとってエヴァンゲリオンは、父が与えてくれた、彼の居場所(彼がいても良い場所)であったわけです。
 また、ここで第弐拾六話の、シンジの補完計画を思い出してみて下さい。何も無い空間に浮かび、自分の存在を認識できないシンジ。しかし、ゲンドウがそこに、不自由という一本の線を与えます。するとシンジは歩くべき場所を得、自らの足で歩き始めるのです。これは、先生の元で何もない生活をしていたシンジに、ゲンドウがエヴァンゲリオンという不自由を与えたことと一致します。
 では、初号機を失ったEOEの世界ではどうするんだ、という人もいるかも知れませんが、云うまでもなく、そこにもシンジは生きる希望を見出しています。そしてこのことが、シンジの心の補完(成長)を最も端的に示しているのです。他人と解け合うこと(自分のいない世界)を否定して、再び他人の恐怖が存在する世界(そして全てが自分自身に依存する世界)に戻ったことからもそれが見て取れます。また、海岸に横たわるシンジが、水面に(第3新東京市を訪れたときに見たのと同じ、他人と分かり合えるかもしれない希望の象徴としての)綾波レイを見ていることからも明らかです。エヴァという不自由の中で、自分に向き合ったシンジは、エヴァという与えられた枠組みを越えたところに、誰にも依存せずに生きていける自分を見出すことが出来たのです。
 以上のように、ゲンドウはシンジに、彼の生きるべき道(もしくは生きる希望を)を与えたと考えることが出来ます。リツコの云うとおり最後まで不器用な生き方しか出来なかったゲンドウですが、愛すべき息子にありがとうを云われ、少しは報われたのでは、と思います。 ◆ラストシーンの意味

EOEのラストシーンは非常に難解です。補完終了後、海岸に横たわるシンジとアスカ。他人ともう一度生きていきたいと願ったシンジが、しかしアスカの首をありったけの力で絞める。そして最後にアスカの「気持ち悪い」という言葉に涙を流すシンジ。この場面だけを考えたのでは、一体何がなにやら、という感じですが、この場面にはかなり多くの伏線が張られていたと考えることができます。そして、そんな見えない線を紡いでいくと、このラストシーンが何を物語るのかということが見えてくるのです。

Ⅰ.カーペット
ミサトは死に際に、「こんなことなら、アスカの言うとおりカーペット、換えときゃよかった・・・」と呟きます。しかし、それまでのストーリーにはアスカがカーペットを取り替えるようにミサトに勧めるシーンも、カーペットを換える必要があることを示すようなシーンもありません。一体アスカはいつ、ミサトにカーペットを取り替えるように言ったのでしょうか。ここで思い浮かぶのが、補完の中でシンジが思い浮かべた、ミサトのマンションの台所でのアスカとの口論のシーンです。この時アスカに突き飛ばされたシンジはテーブルの上にあったコーヒーポットを倒し、床にこぼしてしまいます。ただ、このとき床はフローリングだったので、カーペットを汚すことはありませんでした。しかしこのシーンは非常に意味深です。シンジの無様さを示すためだけにコーヒーはこぼれたのでしょうか。いや、きっとここにはもっと深い理由があるはずです。このシーンに出てくるアスカを、シンジにとっての他人の象徴であると考える説もありますが、ここでは敢えて、あれはアスカそのものであったと考えて話を進めていきます。まず、シンジとアスカの口論は、いつ行われたのでしょうか。シンジがアスカにしか助けを求められない状況を考えると、シンジがセントラルドグマでレイの正体を知った第弐拾参話以降だと云えます。また、第弐拾四話冒頭でアスカはどこかの廃屋のお風呂に浸かっています。この時のアスカは既に精神に破綻をきたしていて、直後に中央病院に収容されていますから、口論はこれ以前に行われたと考える必要があります。つまり、シンジとアスカの口論は、弐拾参話以降、弐拾四話以前という、話と話の中間で行われたと考えるのが適切です。ここで重要になってくるのが、春の映画DEATH編で新たに追加されたカットです。

Ⅱ.シンジがアスカにしたひどいこと
「いい加減なこと言わないでよ!!バカシンジのくせに!」
「-嘘」
「気持ち悪い」
「ミサトやバカシンジの使ったお湯なんかに誰が入るもんか。ミサトやバカシンジの下着を洗った洗濯機なんか誰が使うもんか。ミサトやバカシンジの使ったトイレなんかに誰が座るもんか。ミサトやシンジと同じ空気なんて誰が吸うもんか」
「ミサトもイヤ。シンジもイヤ。ファーストはもっとイヤ。パパもイヤ。ママもイヤ。でも自分が一番イヤ!もぉおイヤ!!我慢できないっ!!」
「なんでこの私が!!」
「私がぁっ!!」
おそらく、シンジはアスカに加持の死を告げたのです。その理由は多分、アスカの心を自分だけに向けたかったか、もしくはアスカにも自分同様もう頼る人はいないという現実を突きつけようとしたからでしょう。加持の死をぼんやりと感じていたアスカですが、弐号機を操縦できなくなった彼女が唯一心の頼りにしていたであろう加持の死が決定的なものとなり、彼女は生きるということに絶望します。これが何故口論のシーンと関係するのかと言えば、実はこの場面こそが弐拾参話と弐拾四話の間で、シンジとアスカの間で起きたことだと考えられるからです。シンジの心に浮かんだ口論のシーンというのは、この場面の彼の心の中でのイメージが、あの様なかたちで彼の心に象徴的に映し出されたものなのでは無いでしょうか。つまり実際は、シンジから加持の死を知らされたアスカが何らかの原因(シンジのイメージ通り彼を突き飛ばしたか、近くにあったコーヒーポットへ八つ当たりしたか)でカーペットを汚してしまったのです。そしてその後、アスカは気分転換するために風呂に入ろうとしたが結局入れず、家に帰ってきたミサトにカーペットを換えてと頼むのをおそらく最後に(若しくはその旨の置き手紙を置いて)、ミサトのマンションを出ていったのです。風呂場の台詞から考えて、直後に家を出ていった可能性は非常に強いと云えます。
こうして考えると、シンジがミサトに言った、「アスカにひどいことしたんだ」という台詞は、303号病室でアスカを蔑んだことではなく、アスカに加持の死を告げ、彼女を絶望にまで追い込んでしまったということを言っているのではないでしょうか。そして、そう考えると、ミサトがそれに対して言った「自分の出来ることを考え、償いは自分でやりなさい」という言葉がまた意味深なものになってきます。

Ⅲ.ハッピーエンド/まごころを、君に
ラストシーンでシンジは隣に横たわるアスカを見つけます。そしてシンジは、ミサトの言う通り自分ができる精一杯のことをしようと考えます。アスカを絶望から救うために彼ができる唯一の手段、つまり、アスカを殺そうとするのです。この場面の解釈は多くありますが、シンジの力の入れようからして、本当にアスカの息を止めようとしていた可能性は強いと考えます。今まで他人を傷付けないようにして生きてきたシンジが、アスカを自らが与えた絶望から救うためにその命を奪う、という今までの彼にはできなかったであろう、心からの償いをするのです。一方アスカは選択を迫られます。弐号機も加持もいないこの世界で生きていくか、それともそのままシンジの手によって死ぬか、という。そして、アスカは生きることを選択しました。シンジの頬に手を伸ばし、「気持ち悪い」という明確な意志表示をします。彼女はエヴァパイロットとしての優越感に生きる理由を見い出していた今までの自分を捨て、新しい自分として生きていくことを選択し、同時にシンジの罪を許したのです。つまりこのラストシーンで、二人は揃って絶望から復帰し、新しい自分として歩き始めたのです。これは立派にハッピーエンドと言えるでしょう。少し苦いハッピーエンドではありますが、新世紀エヴァンゲリオンという難解な物語のラストを飾るには相応しいものであったと思います。

これは終末の解釈の一つのかたちに過ぎません
EOEを観た全ての皆さんの中にそれぞれの素晴らしい解釈があることを祈ります ◆加持はなぜ死んだか

 巷では加持が誰に殺されたかという話題をよく見かけますが、ここでは少し発想の転換をして、彼が何故殺されたかについて考えてみたいと思います。
 まず、冬月を誘拐したのは本当に加持でしょうか。彼は冬月をゼーレの元から連れ出す際に、冬月に対して、「ご無沙汰してます」と言っています。当日のうちに冬月が解放されたことから考えてもし彼が冬月を誘拐したのなら、すこしおかしいことになります。身体の自由まで数時間とはいえ拘束された冬月に対する彼一流の皮肉(自分に対する)と考えることもできますが、少し場違いな台詞です。やはり実際に冬月としばらくの間逢っていなかったと考えるのが妥当でしょう。また、一方冬月も加持の姿を見て「君か・・・」と少し驚いています。更に言えば、いかに真実への欲望が強いとは言え、今やほとんどネルフの敵となったゼーレに冬月を連れていくというのは(例えすぐに自分で救出しようと考えていたとしても)ちょっと考えにくいと思います。以上のことから考えると、冬月をさらったのは加持では無い、と考えるのが正しいと思います。
 では、諜報部を攪乱し、冬月をさらったのは誰か。これは非常に難しい問題ですが、犯人を加持に見せるように巧妙に手を打ったゼーレのスパイである可能性が最も強いと考えます。そうで無ければリツコあたりでしょうが、この時の彼女にはゼーレの命に服従する理由がありません。
 冬月がさらわれたことを知った加持は、ミサトへの最後のメッセージを残して、その救出に向かいます。自らの命を懸けて。それは何故でしょうか。
 その前に、加持が殺される必要性について考えてみましょう。彼が三重スパイであることは周知の事実でしたが、彼の働きが優れていたことも又事実であったので、彼はその活動を続けることができました。しかし、ゲンドウの行動を密告するという役割が果たされていないことを知ったゼーレは、彼を鈴としては用済みと考え、他の手段で彼を利用することにしました。ゼーレのスパイで冬月を誘拐し、その犯人として加持を仕立て上げたのです。冬月を誘拐することは、冬月にとって、そしてそれ以上にゲンドウにとってゼーレのシナリオ外の行動を抑制する釘の意味を持っていたはずです。その犯人を加持にすることは、ゼーレから送り込んだ本当のスパイにネルフ諜報部の詮索の手が及び、ゼーレという組織が発見される可能性を0にしますから、まさに一石二鳥です。以上のように、真実を闇に葬るためにゼーレは加持を絶対に殺さねばならなかったのです。
 一方、そんなゼーレのシナリオを知った加持は冬月の救出に向かいます。真実を求めて、彼は動かなければなりませんでした。自分を冬月誘拐の犯人だと考えているネルフには戻れませんし、いずれにしてもゼーレに殺されることは分かっているのですから。それだけゼーレのシナリオは完璧だったのです。死を悟った彼は最後の仕事として冬月を救出します。それが、今の彼に唯一可能な、真実への道だったのです。 ◆弐号機蹂躙の理由

気持ち悪いとか吐き気がするとか言う意見続出の弐号機破壊シーンですが、弐号機が破壊されることには深い理由があるのです。戦自のネルフ侵攻時、アスカは弐号機の中にキョウコの母としての魂が存在していたことを悟ります。そもそもアスカのアイデンティティというものは、自分一人で、誰にも頼らずに生きていくというところにありました。そしてそれは、母の愛を享受できなかったからこそ形成されたものであります。しかし、自分を守って(愛して)くれる優しい母親の存在を知ったアスカが弐号機から離れられるでしょうか。きっと無理です。長い間一人で寂しい思いをしてきた彼女はきっと、ずっと母親(弐号機)と共にいたいと願ったでしょう。つまり、もしあそこで弐号機が破壊されなければ、アスカは一人で生きていくことのできない人間になっていたのではないでしょうか。それはとても悲しいことです。パンフレットに於いて、再び弐号機に搭乗し戦うアスカを以てして「偽りの復活」と記されているのもそのせいです。それまで喪失状態にあった彼女は、母の存在によって甦りますが、それは母親(弐号機)なしでは生きられないアスカの復活であり、一人の人間としてのアスカの復活では無いのです。あそこまで残虐に破壊する必要があるのか、といわれると何も云えませんが、上述の「ギリシャ神話に見るエヴァンゲリオン」にあるように、弐号機がプロメテウスであると考えるならば、神話をなぞる意味で、プロメテウスとして内臓を啄まれる必要性はあったと云えます。更に、弐号機に宿るキョウコの名字の由来になった、旧日本海軍の母艦「蒼龍」は、ミッドウェー海戦で米軍の軍艦数隻に囲まれて撃沈されたそうです。以上のように弐号機蹂躙には、「アスカの母離れ」の他に、「プロメテウスとしての宿命」「蒼龍としての宿命」という3つもの理由が絡まり合っているのです。こうして考えると、庵野監督の技量に感服せざるを得ない気持ちもしてきます(笑)。まぁ、とにかく弐号機の完全な崩壊はアスカの真の復活に繋がるのですから、希望ある最後だったと云えなくもなさそうです。 ◆大人のキス

戦自侵攻時、第7ケージに続く緊急通路R20の扉前で、まるで生きる意志をなくしてしまったシンジに対してミサトはキスをします。長い、大人のキスを。このキスには、彼女がシンジに対して初めて見せる、他人としての象徴を見て取ることができます。ミサトはずっと、シンジの保護者的役割を担っていました。しかしここで、決して家族にはすることのない、一人の男と女としてのキスをすることで、シンジに家族の終わりを告げるのです。その意図は、「他人とかそんなの関係ないでしょう」というミサトの台詞が全てを物語っています。また、何事も完璧に成し遂げねば気が済まないミサトの性格が、死を目前にして、崩壊しかけた疑似家族に自らの手で終止符を打ったと考えることもできるかも知れません。 ご意見・ご感想、エヴァに関する考察等、お待ちしています。
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