プロレスリング・ノアの社長でプロレスラーの三沢光晴(みさわ・みつはる)さんが13日、試合中の事故で広島市内の病院に搬送され、同日午後10時10分、死亡が確認された。46歳。三沢さんは広島グリーンアリーナ小アリーナで行われた広島大会のGHCタッグ選手権の試合中に相手選手の岩石落とし(バックドロップ)を受けて頭部を強打。心肺停止状態に陥った。搬送先の病院では集中治療室で救命処置を受けたものの、帰らぬ人となった。

 まさかの事故が起こったのは午後8時半すぎだった。三沢さんは午後8時10分ごろから、潮崎豪と組んでメーンでGHCタッグ王者の斎藤彰俊、バイソン・スミスと対戦。ともに体重120キロ近い大型選手の王者組のパワーの前に苦戦を強いられていた。そして開始25分すぎに異変が起きた。時折頭を振るなど不自然なしぐさを見せていた三沢さんだったが、潮崎からタッチを受けて、バイソン、斎藤の合体技と斎藤の蹴りの連発を浴びるとぐったり。とどめに斎藤から高角度の岩石落としを食らった際に受け身の体勢が十分取れずに、体を「く」の字に折る不自然な形で落下、頭部と首を強打した。

 三沢さんはそのまま動かなくなり、レフェリーが異変に気付き試合を止めた。その後は参戦していた佐々木健介や高山善廣ら選手たちがリングに駆けつけて「社長」と声を掛けたが、三沢さんは応じなかった。すでに呼吸をしておらず、心肺停止の可能性が高いことから観戦していた医師やトレーナーらが人工呼吸や心臓マッサージを行ったが、反応はなかった。さらに、しばらくして駆けつけた救急隊員が自動体外式除細動器(AED)で蘇生(そせい)を試みたが、心肺停止のまま広島市内の病院に搬送された。

 この間、約2300人の観衆で埋まった会場は騒然とした状況になった。リングサイドのファンからは「三沢コール」がわき起こり、女性ファンの悲鳴に似た叫び声も上がった。搬送直後には、選手会長の森嶋猛がリングに上がりマイクを握って「三沢社長の状態が分かりません。選手一同無事を祈っています」などと、硬い表情で状況を説明した。

 病院に到着した三沢さんは集中治療室に運ばれ、懸命な処置が施されたが、午後10時10分、帰らぬ人となった。

 三沢さんは、昨年1月にも日本武道館で行われた森嶋とのGHCヘビー級タイトル戦で首を強打して病院に搬送されたことがある。また関係者によると、今年3月に日本テレビの地上波放送打ち切りが決まったころから「体調が悪い」と漏らしていたという。

 三沢さんは81年にデビュー、全日本時代には2代目タイガーマスクとして活躍し、3冠ヘビー級王者などエースの地位を確立した。新団体のノアを設立後には社長に就任、トップ選手として活躍を続けていた。プロレス界は大きな柱を失った。

 ◆三沢 光晴(みさわ・みつはる) 1962年(昭37)6月18日、北海道夕張市生まれの46歳。プロレスラーを志し、レスリングの名門・足利工大付高に進学。国体優勝などの実績を引っさげ、ジャイアント馬場率いる全日本プロレスに入門し、81年8月21日、越中詩郎戦でプロデビューした。84年にメキシコ武者修行に出て、帰国後2代目タイガーマスクとして活躍。90年5月から素顔で戦い、92年8月に3冠ヘビー級選手権を獲得。その後、川田利明、小橋建太、田上明らと四天王プロレスを展開したが、00年6月に退団。同年7月に「ノア」を旗揚げし、社長としてマット界を引っ張った。1メートル85、110キロ。(スポニチ)
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