◇ネット世代の深い悲しみ

 遅きに失したかもしれないが、今回、どうしても書いてみたいことがある。一カ月ほど前に、突然この世を去った男についてだ。男の名は、マイケル・ジャクソン。

 と、ここまで書いて、マイケルを「男」と規定することに、違和感があるのに気付いた。勿論(もちろん)、彼は女性ではない。生物学的に男性なのに、なぜか性を決めたくない自分がいるのが不思議だ。

 また、マイケルは、かつて皆が知っていた黒人青年ではなくなった。晩年は、生まれ持った姿とは別の顔、別の膚(はだ)の色をした人間に変わった。

 この世のものとは思えない激変を可視させてくれたマイケル。数奇としか言えない運命を生きたマイケル・ジャクソンは、いったい何者だったのだろう。

 しかし、追悼式の中継を見ると、壇上にいるのは、ほとんどがアフリカ系アメリカ人だった。目立つ白人は、ブルック・シールズのみ。

 白人の姿になった、と非難されたマイケルだったが、追悼式は、彼が世界の音楽業界を制圧した黒人のスーパースターであることを、改めて認識させる演出だったように思う。

 マイケル・ジャクソンは、一九五八年生まれ。彼は、私とほぼ同時代を生きた。

 ご多分に洩(も)れず、私もファンの一人だった。だが、私はいつしか彼を見失った気がする。その時期は、彼の膚の色が変わり始めた頃(ころ)と符合するのだ。

 マイケルの膚の色が変わった原因は、皮膚の色素が抜けていく重い病気だったという。それが真実ならば、誠に気の毒なことだった。

 だが、傍目(はため)には、マイケルが自身のアイデンティティーを積極的に変えようとしているかのごとく見えた。

 その誤解が、昔からのファンを去らせ、マイケルを「変人」にしてしまったのかもしれない。さらに、度重なる整形。二度の擬装っぽい結婚。ホームドクターによる、見えない医療。

 これら、マイケルの行動は、マイケル自身の願望の発露にしか見えなかった。けれども、それは、金さえ払えば何でも得られる、アメリカの際限ない欲望の姿であり、裏返せば、アメリカ社会の見えない要請でもあったように思う。マイケルは、その意味で、アメリカの闇を背負っていたのだ。

 美しくなり、膚の色が変わってくるとともに、彼は世界の貧困や差別に怒る歌をも、歌い始める。「正論」過ぎる、と非難などできないほど、それらは美しい曲だった。

 確かに、八十年代後半から、九十年代にかけては、社会が成熟し、弱い者への想像が広がる優しい時代ではあった。それまでになかったハラスメントという概念が生まれ、フェアネスがきちんと論じられた時代でもある。マイケルの中性的な美と歌は、その時代とうまく合っていた。

 マイケルはステージで歌い終わった後、身を屈(かが)めて泣いた。が、世界の不当さに泣くマイケルの背に漂っているのは、彼自身の混乱ではなかったか。不世出の天才は、明らかに「変貌(へんぼう)」に取(と)り憑(つ)かれており、それは彼を不幸に、孤独に、また複雑に見せていたことは間違いない。だからこそ、マイケルの怒りや悲しみには、リアルさがあった。

 先日、二〇〇一年に行われた、マイケルのソロ活動三十周年を祝うコンサートライブを見た。

 マイケルは仮面のような白い顔で、右にマコーレー・カルキン、左にエリザベス・テーラーを配して座っていた。その顔は、今にも砕け散りそうな危うさを秘めていたが、誰もが「キング・オブ・ポップ」と褒め称(たた)えていた。

 しかし翌朝、予期せぬ出来事が起きる。ニューヨークの世界貿易センタービルに、旅客機が突っ込んだのだ。

 以後、世界は急変した。九十年代の豊かな鷹揚(おうよう)さは失われ、一気に憎しみの世界に突入した。やがてマイケルはセクシュアリティーに関する裁判に足を掬(すく)われる。

 今年三月、マイケルが十二年ぶり、そして生涯最後のツアーを行うと発表した時、誰もが不安を覚えたと思う。マイケルがひどく〓(や)せて、危うい外見をしていたから。

 チケットが即日完売したのは、本当に最後かもしれないというファンの焦りが生んだものだったし、すでにファンの中心がネット世代に移ったことの証左でもあった。

 マイケルの訃報(ふほう)を聞いて、ひどく悲しんだのは、二十代のファンだったと聞く。

 彼らは生まれてからずっと、マイケルの歌を聞き、パフォーマンスを見て育ってきた。彼らは、マイケルの変化を当然のように受け止めて、その歌とダンスをリスペクトし、マイケルの発したメッセージのリアルさを受け止めてきた「正論ジェネレーション」でもある。

 その「正論ジェネレーション」は今、未曽有の世界的不況に晒(さら)されて、不安定な雇用の世を生きている。彼らはまた、ネットを使いこなす、真のグローバル世代でもある。

 私は、晩年のマイケルを支えた彼らが何を考え、どんな社会を作るのかが知りたいのだ。マイケル・ジャクソンという稀有(けう)な人間の影響が少しでもあるのなら、見届けねばならないと思うのである。=毎週日曜日に掲載
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