作詞 吉野夫二郎 作曲 古賀政男
歌 村田英雄

小倉生まれで 玄海育ち
口も荒いが 気も荒い
無法一代 涙を捨てて
度胸千両で 生きる身の
男一代 無法松

空にひびいた あの音は
たたく太鼓の 勇駒
山車の竹笹 堤灯は
赤い灯に ゆれて行く
今日は祇園の 夏祭り
揃いの浴衣の 若い衆は
綱を引出し 音頭とる
玄海灘の 風うけて
ばちがはげしく 右左
小倉名代は 無法松
度胸千両の あばれうち

泣くな嘆くな 男じゃないか
どうせ実らぬ 恋じゃもの
愚痴や未練は 玄海灘に
捨てて太鼓の 乱れ打ち
夢も通えよ 女男波

砂山 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()

下駄の音、路地裏通り、雨上がりの屋根  窓ごしの手まり唄、おさげ髪の思い出
この街が好きさ、君がいるから  この街が好きさ、君の微笑(ほほえみ)あるから

街の角、喫茶店、古い美術館  山かげの細い道、初恋の涙
この街が好きさ、君がいるから  この街が好きさ、君の微笑(ほほえみ)あるから

夕焼け雲、五重の塔、石畳の鳩  プラタナスの道で、君を待ちながら
この街が好きさ、君がいるから  この街が好きさ、君の微笑(ほほえみ)あるから

大学通り、流れる川、走る路面電車  背の低い山を見て、君と僕の明日
この街が好きさ、君がいるから  この街が好きさ、君の微笑(ほほえみ)あるから

この街が好きさ、君がいるから  この街が好きさ、君の微笑(ほほえみ)あるから

2004/ 6/17 21:13
メッセージ: 10402 / 10421

投稿者: yamada2001desu
mitsuoさんのリクエストでしたね、どうぞお聞きください

http://www5f.biglobe.ne.jp/~natumero/mati.ram

砂山 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()

出張物語   川中美幸、吉幾三

作詞 吉幾三 作曲 吉幾三
アーティスト 吉幾三・川中美幸

(セリフ)(女)行ってらっしゃーい…
(男)行って来るよー…

(男)たとえ離れていても 見る夢は一緒
(女)あなた帰る日 あたし 指折り数えて
(男)ちょっと長めの出張 家は頼んだよ (OK)
(女)夜の蝶々に騙され 浮気はダメよ (ドキッ)
(男女)どこか似ているふたり 結婚しちゃったふたり
(男)いつも一緒もまたいい
(女)時々出張 (Ah)
(男女)またいい

(セリフ)(男)さて、ケイタイも切ったしと
(男)ワッハッハッハッハ…

(女)背中恋しい夜は 写真にお・や・す・み
(男)お前恋しい夜は わずかなお酒を
(女)土曜の夜はちょっと 友達と会うの (待て!?)
(男)友達なんて誰さ ヒゲはないだろな (ドキッ)
(男女)どこか似ているふたり 結婚しちゃったふたり
(男)いつも一緒もまたいい
(女)時々出張 (Uh)
(男女)またいい

(セリフ)(女)あらー! ステキなひとひとりものかしら…
(女)イッヒッヒッヒッヒ…

(男)子供欲しくはないか? そろそろ一人
(女)あなた一人で充分 私の赤ちゃん
(男)今夜お前の胸で 赤ちゃんなろうかな
(女)明日は会社もお休み 早めのおねんね
(男女)どこか似ているふたり 結婚しちゃったふたり
(男)いつも一緒もまたいい
(女)時々出張 (Uh)
(男女)またいい

(男女)どこか似ているふたり 結婚しちゃったふたり
(男女)いつも一緒もまたいい 時々出張 (Uh) またいい

(セリフ)(男)ただいまー
(女)あなたー
(男女)Ah~n

(ムーチョ!)
2004/ 6/18 21:23
メッセージ: 10409 / 10421

投稿者: jadu329 (63歳/男性/海外)
今晩は。みつおさんがリクエストした曲のひとつです。
お聞き下さい。どうぞ。

http://myfile.hanafos.com/~ljw329/music/shuttcho.ram


當初在nhk看到快笑瘋了,才找到這首...

砂山 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()

みつおさん「寺御幸」という曲残念ですが持ち合わせていません
この曲は京都の南北に走る通りを歌ったのでしょう?
代わりに東西に走る通り名を歌った「丸竹夷」という曲です。聞いてください

http://www5f.biglobe.ne.jp/~natumero/ebisu.ram

丸 竹 夷 二 押 御池
姉 三 六角 蛸 錦
四 綾 仏 高 松 万 五条
雪駄ちゃらちゃら 魚の棚
六条 三哲 とおりすぎ
七条 こえれば 八 九条
十条 東寺で とどめさす

《京の東西の通り名》
丸太町(まるたまち)/竹屋町(たけやまち)/夷川(えびすがわ)
二条(にじょう)/押小路(おしこうじ)/御池(おいけ)
姉小路(あねやこうじ)/三条(さんじょう)/六角(ろっかく)
蛸薬師(たこやくし)/錦小路(にしきこうじ)/四条(しじょう)
綾小路(あやのこうじ)/仏光寺(ぶっこうじ)/高辻(たかつじ)
松原(まつばら)/万寿寺(まんじゅうじ)/五条(ごじょう)
雪駄屋町(せきだやまち。現在は楊梅通り)/魚の棚(うおのたな)
六条(ろくじょう)/三哲(さんてつ)/七条(ひっちょう)
八条(はっちょう)/九条(くじょう)/十条(じゅうじょう

投稿者: yamada2001desu
2004/ 7/ 5 6:16
メッセージ: 10472 / 10477

砂山 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()

最近一項問卷調查結果顯示,近九成的南韓上班族,對於自己的前途頗感不安,甚至有逃避上班等傾向。

南韓第一大報「朝鮮日報」今天引述南韓就業入口網站「Joblink」最近針對一千三百二十六名南韓上班族所做的問卷調查結果顯示,百分之八十六點四的作答者表示「確實受上班族倦怠症候群所困」。

百分之三十八點一的作答者表示「曾經歷過幾乎無法上班的嚴重困擾」,也有百分之十六點二表示「因承受不了上班族倦怠症候群而遞出辭呈過」。

至於所經歷過的「上班族倦怠症候群」症狀,百分之三十點四的作答者表示「每天早上一醒來,就為要不要去上班而煩惱,出現逃避上班的現象」,更有百分之二十五點二表示「曾為此而辭職、創業等另謀他途」。

也有百分之二十點九的作答者答以「對生活心灰意冷」、百分之十六點三表示「陷入無精打采」、百分之五點二表示「神經過敏」。

有關呈現上班倦怠原因,百分之三十九點四答以「反覆不停且乏味的日常生活與工作」、百分之二十四點一認為「在職場裡寒酸渺小的存生感」、百分之二十點四表示「夜以繼日的加班」、百分之十點八答以「與個性不適合的業務」。

對於如何紓解「上班族倦怠症候群」的問題,百分之三十三點八答以「忠實於自我發展」、百分之二十一點二表示「以嗜好活動來消解」、百分之十五點七答以「更埋頭工作」,也有百分之二十六點九的作答者表示「強忍硬撐下來」。

【2005/06/16 中央社】 @ http://udn.com

砂山 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()

作詞 小沢 不二夫
作曲 米山 正夫
唄 美空 ひばり


リンゴの花びらが 風に散ったよな
月夜に月夜に そっと えええ
つがる娘は ないたとさ
つらい別れを ないたとさ
リンゴの花びらが
風に散ったよな あああ

(セリフ)
お岩木山のてっぺんを、綿みてえな白い雲が、ポッカリポッカリ
ながれてゆき、桃の花が咲き、桜が咲き、そっから早咲きのリンゴの
花ッコが咲く頃が、おら達の一番たのしい季節だなやー。
だども、じっぱり無情の雨こさ降って、白い花びらを散らす頃、
おらあ あの頃東京さで死んだお母ちゃんのことを想い出すって、
おらあ おらあ

つがる娘は ないたとさ
つらい別れを ないたとさ
リンゴの花びらが
風に散ったよな あああ


砂山 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()

作詞 石本 美由起
作曲 古賀 政男
唄 美空 ひばり


ひとり酒場で 飲む酒は
別れ涙の 味がする
飲んで棄てたい 面影が
飲めばグラスに また浮かぶ

(セリフ)
ああ 別れたあとの心残りよ
未練なのね あの人の面影
淋しさを忘れるために
飲んでいるのに
酒は今夜も 私を悲しくさせる
酒よどうして どうして
あの人を
あきらめたらいいの
あきらめたらいいの

酒よこころが あるならば
胸の悩みを 消してくれ

酔えば悲しく なる酒を
飲んで泣くのも 恋のため

一人ぼっちが 好きだよと
言った心の 裏で泣く
好きで添えない 人の世を
泣いて怨んで 夜が更ける

砂山 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()

斎藤信夫作詞・海沼実作曲

静かな静かな 里の秋
お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんとただ二人
栗の実 煮てます いろりばた

明るい明るい 星の空
鳴き鳴き夜鴨(よがも)の 渡る夜は
ああ 父さんのあの笑顔
栗の実 食べては 思い出す

さよならさよなら 椰子(やし)の島
お舟にゆられて 帰られる
ああ 父さんよ御無事(ごぶじ)でと
今夜も 母さんと 祈ります
石川さゆり/童(わらし)~日本童謡唱歌集 連結在此

砂山 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()

2001/4/28《仮想状況》 『津軽海峡冬景色』です。阿久悠の作詞,三木たかしの作曲,石川さゆりの歌である。
 この歌の主人公は,政治や経済や文化の中心である東京の雑踏から,「上野発の夜行列車」で北へ帰ろうとしている。夜行列車の単調な列車音を聞きながら,主人公は暗い夜の窓を見て,物思いにふけっていた。夜行列車を「おりた時」,すでに「青森駅は雪の中」にあった。雪は音を吸収する。主人公は静けさの中に一人立っている。
 地理をなぞれば,主人公は北海道に帰るということになろうが,これは違う。主人公は極北に帰る,つまり孤絶の極北に帰るのである。いや主人公だけではない。「北へ帰る人の群れは 誰も無口で 海鳴りだけをきいている」ように,夜行列車の乗客たちはすべて無口で自分の中に沈んで孤絶し,自らの心の中の叫びにも似た海鳴りを聞きながら,孤絶の極北へ向かっているのである。そして乗客たちと同じく「私もひとり 連絡船に乗り こごえそうな鴎見つめ 泣いてい」る。「こごえそうな鴎」は自分の孤絶の心象であり,乗客たちもそこに自分たちの姿を射影している。そして,それ自体「こごえそうな鴎」とも言うべききゃしゃな石川さんが「ああ 津軽海峡冬景色」と海鳴りのような悲しい叫びを発するのである。実生活で噂のように,石川さんが生意気でもわがままでもそれはどっちでもよい。彼女が放つ海鳴りの声が感動的なのである。
 孤絶は自らの力で感覚するものである。そしてよくある逆説だが,孤絶の実感こそ,他者との通路を産みだし,真に他者に優しくし得る基礎となるものであると思う。「ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと 見知らぬ人が 指をさす」が,それは少し知ったかぶりの孤絶者の余計なお節介である。極北は自ら見出すものである。主人公は「息でくもる 窓のガラス ふいてみたけど はるかにかすみ 見えるだけ」で極北は見えない。自らの力で感覚するしかないのである。
 誰にも依存できない,誰にも保護されない,誰にも受容されない,その孤絶の極北から,再び人に見えるのでなければならない。出会うのでなければいけない。今何度も「ああ 津軽海峡冬景色」という孤絶の叫びが私の耳の中に反響し,そこに何やら私の悟達のようなものが現れ始めている。
 主人公は「さよならあなた 私は帰ります」と言う。だが,この「あなた」は特定の誰か男なのではない。これは他者一般の抽象である。その証拠にこの「あなた」は全く描写されていない。さよなら,他者よ,私は孤絶する。「風の音が 胸をゆする 泣けとばかりに ああ 津軽海峡冬景色」。胸が張り裂けそうだし,泣き崩れてしまいそうだが,だが,行かなければならない。「あなた」に「さよなら」して,孤絶の極北へ。その感情をとことん味わい尽くして,とことん表出しきって,その後に現れるものを信じよということであろうか。


砂山 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()

2000/6/24《仮想状況》 『天城越え』です。作詞は吉岡治,作曲は弦哲也,歌は石川さゆりです。
 先日,何かの歌番組で石川さゆりさんがこの歌を熱唱していた。カラオケで最もよく歌われるのがこの歌だそうである。みんな熱唱するらしい。恥知らずなことである(笑)。
 この歌,とりあえずある特定の男に狂おしく発情し,激しく性交している歌である。酒でも飲まなければとても恥ずかしくて歌える歌ではない。あっカラオケって酒も飲める所でしたね。だったら,いいわけですね(笑)。
 一体,何を言い出すのかとお思いでしょうが,人間とは何か?(笑)。
 人間は他の動物と同じように,生活し,発情し,他と接触し,つがいや群を作る動物である。といっても,人間の生活は他の動物のように自然から直接,狩猟・採集するというのではない。大部分が人工化されている。人間は仕事や事業に従事して金を稼ぎ,その金と交換に生活手段を入手する。それが人間の生活だから,人間にとって失業や倒産は,他の動物にとっての狩猟・採集の対象の欠乏や失敗に匹敵する。動物的エネルギーの根源に関わるのである。だから,貯金とか就業機会とか老後の年金とかの問題はあだやおろそかに扱ってはならないのである。で,これはこの歌には関係ない(笑)。
 さらに人間は発情するが,他の動物のように発情の時期が特定化されずに慢性化し,しかも,工作し,思考し,幻想する人間にとっては交尾の本能も単一的,直接的,局部的なものではない。48手も発明するし,特定の男(女)を相手にしながら他の男(女)と比較対照し,眼前にない事実を想像したりもする。しかも,人間の群は他の動物のように単に生活や安全のために連携するために群を作るのではなく,あるつがいのありようについて様々に干渉する存在である。他の動物もつがいを作るときには争うこともあろうが,それは単に力関係で勝負が決まって終わる。人間はそうではない。そのつがいは間違っているなどと余計なお節介を焼くのである(笑)。で,これがこの歌のテーマである(笑)。
 この歌の女主人公はたぶん伊豆の山奥の温泉に不倫旅行に来ている。相手の男は女主人公から逃げようとしている気配があるが,現在,女主人公は男に対して猛烈に発情し,連鎖的に性交したい,継続的に接触したい,つまり自分の近くにどぎつく肉体的に所有したいと感じている。それは生活上の協力や交流としての同居というようなレベルを隔絶しているのである。
 「隠しきれない 移り香が いつかあなたに しみついた」。ハメっこ,触りっこし過ぎて,体臭が混ざり合ってしまった。「誰かに盗られる くらいなら あなたを殺して いいですか」。この旅行から帰宅すると,男はたぶん奥さんの所に帰り,肉体的には盗られてしまうのである。盗られたくないわけだ。「寝乱れて 隠れ宿」。山奥のあまり人気のない宿の一室で,浴衣(温泉宿って浴衣だよね?(笑))が雑巾のようにくしゃくしゃになっているのである。「九十九折り 浄蓮の滝」。これは山奥のイメージを出すためである。
 「舞い上がり 揺れおちる 肩のむこうに あなた…… 山が燃える」。これは男があぐらをかいた所にまたがってハメている,いわゆる対面座位なのである。それで肩越しに山が見える。舞い上がり,揺れおちるのは,座位における,ゆっくりだが激しい上下運動の産物であり,それで興奮しすぎて,山が燃えているように見えるのである。このあたり,アッ,アッ,アッフーンとかかけ声も入れて欲しかったなあ(笑)。
 「くらくら燃える 火をくぐり」もただセックスの興奮である。「あなたと越えたい 天城越え」。天城を越えたら何処へ着くのか?。まさか国道414号を通って,静岡県天城湯ケ島町から、静岡県河津町へ行くという意味ではあるまい(笑)。これはやはり生と死の境界と思うべきであろう。すでに女主人公は「何があっても もういいの」と言っている。あなたと一緒に死の世界へ行きたいということである。
 「口を開けば 別れると 刺さったまんまの 割れ硝子」。女主人公と男のつがいの性愛は危機にあるわけである。男はたぶん最後にけじめをつけたいとか何とか言われて連れ出された。ひょっとするとこれは無理心中が待っているのかも知れない。「ふたりでいたって 寒いけど 嘘でも抱かれりゃ あたたかい」。これはよくある話である。その女と同居する気も,所有される気もないけれども,セックスだけはしたいという男の得意技である。嘘でも抱かれりゃ,あたたかいだろう,気持ちいいだろう,ここはどないやなんて言っていると,後で包丁で刺されるのである(笑)。
 「わさび沢 隠れ径 小夜時雨 寒天橋」。これらは山奥のイメージを相乗するためである。「恨んでも 恨んでも からだうらはら あなた…… 山が燃える」。今度は肩の向こうに,ではないから,座位の位置を変えたのかも知れない。しかし,やっぱり山が燃えるのだから,顔の向きは変わっていない。とすると,…。あっわかった。これはそのまま前へ進んで,フェイス・ライディングして男の口にハマグリを食べさせたのだ。「からだうらはら」とクンニリングスの部分性は対応性があるかも知れない。…しかし,私もたいがいつまらんことを探求しすぎだわ(笑)。
 「戻れなくても もういいの」って男は戻る気なのだから,これは怖いぞ(笑)。「くらくら燃える 地をはって」。これはたぶんお尻を上げて顔を畳か何かにつけたいわゆる尻上げハマグリ突き出し挑発性匍匐前進位という体位である。「あなたと越えたい 天城越え」。匍匐前進して興奮しながら,こいつ殺して,私も死んでやると思っているわけである。やっぱり怖い(笑)。
 以下はほぼ繰り返しなので省略する。
 ということで,私のようにまじめな人は,こういう歌を人前で歌うと,恥ずかしさのあまり顔が赤黒くなってしまうので,歌いません。しかし,どうなんでしょうねえ。男はやっぱりこれぐらい惚れられたい,これぐらい激しくセックスされたいと思いながら熱唱し,女はこれぐらい激しく惚れたい,犯すように男とセックスしてみたいと思いながら熱唱するのでしょうかねえ。
 ご苦労様です。今日はこのへんで(笑)。

人生の仮想舞台
・・・歌詞あるいは歌われざる詩・・・

砂山 發表在 痞客邦 留言(1) 人氣()