2000/6/24《仮想状況》 『天城越え』です。作詞は吉岡治,作曲は弦哲也,歌は石川さゆりです。
先日,何かの歌番組で石川さゆりさんがこの歌を熱唱していた。カラオケで最もよく歌われるのがこの歌だそうである。みんな熱唱するらしい。恥知らずなことである(笑)。
この歌,とりあえずある特定の男に狂おしく発情し,激しく性交している歌である。酒でも飲まなければとても恥ずかしくて歌える歌ではない。あっカラオケって酒も飲める所でしたね。だったら,いいわけですね(笑)。
一体,何を言い出すのかとお思いでしょうが,人間とは何か?(笑)。
人間は他の動物と同じように,生活し,発情し,他と接触し,つがいや群を作る動物である。といっても,人間の生活は他の動物のように自然から直接,狩猟・採集するというのではない。大部分が人工化されている。人間は仕事や事業に従事して金を稼ぎ,その金と交換に生活手段を入手する。それが人間の生活だから,人間にとって失業や倒産は,他の動物にとっての狩猟・採集の対象の欠乏や失敗に匹敵する。動物的エネルギーの根源に関わるのである。だから,貯金とか就業機会とか老後の年金とかの問題はあだやおろそかに扱ってはならないのである。で,これはこの歌には関係ない(笑)。
さらに人間は発情するが,他の動物のように発情の時期が特定化されずに慢性化し,しかも,工作し,思考し,幻想する人間にとっては交尾の本能も単一的,直接的,局部的なものではない。48手も発明するし,特定の男(女)を相手にしながら他の男(女)と比較対照し,眼前にない事実を想像したりもする。しかも,人間の群は他の動物のように単に生活や安全のために連携するために群を作るのではなく,あるつがいのありようについて様々に干渉する存在である。他の動物もつがいを作るときには争うこともあろうが,それは単に力関係で勝負が決まって終わる。人間はそうではない。そのつがいは間違っているなどと余計なお節介を焼くのである(笑)。で,これがこの歌のテーマである(笑)。
この歌の女主人公はたぶん伊豆の山奥の温泉に不倫旅行に来ている。相手の男は女主人公から逃げようとしている気配があるが,現在,女主人公は男に対して猛烈に発情し,連鎖的に性交したい,継続的に接触したい,つまり自分の近くにどぎつく肉体的に所有したいと感じている。それは生活上の協力や交流としての同居というようなレベルを隔絶しているのである。
「隠しきれない 移り香が いつかあなたに しみついた」。ハメっこ,触りっこし過ぎて,体臭が混ざり合ってしまった。「誰かに盗られる くらいなら あなたを殺して いいですか」。この旅行から帰宅すると,男はたぶん奥さんの所に帰り,肉体的には盗られてしまうのである。盗られたくないわけだ。「寝乱れて 隠れ宿」。山奥のあまり人気のない宿の一室で,浴衣(温泉宿って浴衣だよね?(笑))が雑巾のようにくしゃくしゃになっているのである。「九十九折り 浄蓮の滝」。これは山奥のイメージを出すためである。
「舞い上がり 揺れおちる 肩のむこうに あなた…… 山が燃える」。これは男があぐらをかいた所にまたがってハメている,いわゆる対面座位なのである。それで肩越しに山が見える。舞い上がり,揺れおちるのは,座位における,ゆっくりだが激しい上下運動の産物であり,それで興奮しすぎて,山が燃えているように見えるのである。このあたり,アッ,アッ,アッフーンとかかけ声も入れて欲しかったなあ(笑)。
「くらくら燃える 火をくぐり」もただセックスの興奮である。「あなたと越えたい 天城越え」。天城を越えたら何処へ着くのか?。まさか国道414号を通って,静岡県天城湯ケ島町から、静岡県河津町へ行くという意味ではあるまい(笑)。これはやはり生と死の境界と思うべきであろう。すでに女主人公は「何があっても もういいの」と言っている。あなたと一緒に死の世界へ行きたいということである。
「口を開けば 別れると 刺さったまんまの 割れ硝子」。女主人公と男のつがいの性愛は危機にあるわけである。男はたぶん最後にけじめをつけたいとか何とか言われて連れ出された。ひょっとするとこれは無理心中が待っているのかも知れない。「ふたりでいたって 寒いけど 嘘でも抱かれりゃ あたたかい」。これはよくある話である。その女と同居する気も,所有される気もないけれども,セックスだけはしたいという男の得意技である。嘘でも抱かれりゃ,あたたかいだろう,気持ちいいだろう,ここはどないやなんて言っていると,後で包丁で刺されるのである(笑)。
「わさび沢 隠れ径 小夜時雨 寒天橋」。これらは山奥のイメージを相乗するためである。「恨んでも 恨んでも からだうらはら あなた…… 山が燃える」。今度は肩の向こうに,ではないから,座位の位置を変えたのかも知れない。しかし,やっぱり山が燃えるのだから,顔の向きは変わっていない。とすると,…。あっわかった。これはそのまま前へ進んで,フェイス・ライディングして男の口にハマグリを食べさせたのだ。「からだうらはら」とクンニリングスの部分性は対応性があるかも知れない。…しかし,私もたいがいつまらんことを探求しすぎだわ(笑)。
「戻れなくても もういいの」って男は戻る気なのだから,これは怖いぞ(笑)。「くらくら燃える 地をはって」。これはたぶんお尻を上げて顔を畳か何かにつけたいわゆる尻上げハマグリ突き出し挑発性匍匐前進位という体位である。「あなたと越えたい 天城越え」。匍匐前進して興奮しながら,こいつ殺して,私も死んでやると思っているわけである。やっぱり怖い(笑)。
以下はほぼ繰り返しなので省略する。
ということで,私のようにまじめな人は,こういう歌を人前で歌うと,恥ずかしさのあまり顔が赤黒くなってしまうので,歌いません。しかし,どうなんでしょうねえ。男はやっぱりこれぐらい惚れられたい,これぐらい激しくセックスされたいと思いながら熱唱し,女はこれぐらい激しく惚れたい,犯すように男とセックスしてみたいと思いながら熱唱するのでしょうかねえ。
ご苦労様です。今日はこのへんで(笑)。
人生の仮想舞台
・・・歌詞あるいは歌われざる詩・・・
先日,何かの歌番組で石川さゆりさんがこの歌を熱唱していた。カラオケで最もよく歌われるのがこの歌だそうである。みんな熱唱するらしい。恥知らずなことである(笑)。
この歌,とりあえずある特定の男に狂おしく発情し,激しく性交している歌である。酒でも飲まなければとても恥ずかしくて歌える歌ではない。あっカラオケって酒も飲める所でしたね。だったら,いいわけですね(笑)。
一体,何を言い出すのかとお思いでしょうが,人間とは何か?(笑)。
人間は他の動物と同じように,生活し,発情し,他と接触し,つがいや群を作る動物である。といっても,人間の生活は他の動物のように自然から直接,狩猟・採集するというのではない。大部分が人工化されている。人間は仕事や事業に従事して金を稼ぎ,その金と交換に生活手段を入手する。それが人間の生活だから,人間にとって失業や倒産は,他の動物にとっての狩猟・採集の対象の欠乏や失敗に匹敵する。動物的エネルギーの根源に関わるのである。だから,貯金とか就業機会とか老後の年金とかの問題はあだやおろそかに扱ってはならないのである。で,これはこの歌には関係ない(笑)。
さらに人間は発情するが,他の動物のように発情の時期が特定化されずに慢性化し,しかも,工作し,思考し,幻想する人間にとっては交尾の本能も単一的,直接的,局部的なものではない。48手も発明するし,特定の男(女)を相手にしながら他の男(女)と比較対照し,眼前にない事実を想像したりもする。しかも,人間の群は他の動物のように単に生活や安全のために連携するために群を作るのではなく,あるつがいのありようについて様々に干渉する存在である。他の動物もつがいを作るときには争うこともあろうが,それは単に力関係で勝負が決まって終わる。人間はそうではない。そのつがいは間違っているなどと余計なお節介を焼くのである(笑)。で,これがこの歌のテーマである(笑)。
この歌の女主人公はたぶん伊豆の山奥の温泉に不倫旅行に来ている。相手の男は女主人公から逃げようとしている気配があるが,現在,女主人公は男に対して猛烈に発情し,連鎖的に性交したい,継続的に接触したい,つまり自分の近くにどぎつく肉体的に所有したいと感じている。それは生活上の協力や交流としての同居というようなレベルを隔絶しているのである。
「隠しきれない 移り香が いつかあなたに しみついた」。ハメっこ,触りっこし過ぎて,体臭が混ざり合ってしまった。「誰かに盗られる くらいなら あなたを殺して いいですか」。この旅行から帰宅すると,男はたぶん奥さんの所に帰り,肉体的には盗られてしまうのである。盗られたくないわけだ。「寝乱れて 隠れ宿」。山奥のあまり人気のない宿の一室で,浴衣(温泉宿って浴衣だよね?(笑))が雑巾のようにくしゃくしゃになっているのである。「九十九折り 浄蓮の滝」。これは山奥のイメージを出すためである。
「舞い上がり 揺れおちる 肩のむこうに あなた…… 山が燃える」。これは男があぐらをかいた所にまたがってハメている,いわゆる対面座位なのである。それで肩越しに山が見える。舞い上がり,揺れおちるのは,座位における,ゆっくりだが激しい上下運動の産物であり,それで興奮しすぎて,山が燃えているように見えるのである。このあたり,アッ,アッ,アッフーンとかかけ声も入れて欲しかったなあ(笑)。
「くらくら燃える 火をくぐり」もただセックスの興奮である。「あなたと越えたい 天城越え」。天城を越えたら何処へ着くのか?。まさか国道414号を通って,静岡県天城湯ケ島町から、静岡県河津町へ行くという意味ではあるまい(笑)。これはやはり生と死の境界と思うべきであろう。すでに女主人公は「何があっても もういいの」と言っている。あなたと一緒に死の世界へ行きたいということである。
「口を開けば 別れると 刺さったまんまの 割れ硝子」。女主人公と男のつがいの性愛は危機にあるわけである。男はたぶん最後にけじめをつけたいとか何とか言われて連れ出された。ひょっとするとこれは無理心中が待っているのかも知れない。「ふたりでいたって 寒いけど 嘘でも抱かれりゃ あたたかい」。これはよくある話である。その女と同居する気も,所有される気もないけれども,セックスだけはしたいという男の得意技である。嘘でも抱かれりゃ,あたたかいだろう,気持ちいいだろう,ここはどないやなんて言っていると,後で包丁で刺されるのである(笑)。
「わさび沢 隠れ径 小夜時雨 寒天橋」。これらは山奥のイメージを相乗するためである。「恨んでも 恨んでも からだうらはら あなた…… 山が燃える」。今度は肩の向こうに,ではないから,座位の位置を変えたのかも知れない。しかし,やっぱり山が燃えるのだから,顔の向きは変わっていない。とすると,…。あっわかった。これはそのまま前へ進んで,フェイス・ライディングして男の口にハマグリを食べさせたのだ。「からだうらはら」とクンニリングスの部分性は対応性があるかも知れない。…しかし,私もたいがいつまらんことを探求しすぎだわ(笑)。
「戻れなくても もういいの」って男は戻る気なのだから,これは怖いぞ(笑)。「くらくら燃える 地をはって」。これはたぶんお尻を上げて顔を畳か何かにつけたいわゆる尻上げハマグリ突き出し挑発性匍匐前進位という体位である。「あなたと越えたい 天城越え」。匍匐前進して興奮しながら,こいつ殺して,私も死んでやると思っているわけである。やっぱり怖い(笑)。
以下はほぼ繰り返しなので省略する。
ということで,私のようにまじめな人は,こういう歌を人前で歌うと,恥ずかしさのあまり顔が赤黒くなってしまうので,歌いません。しかし,どうなんでしょうねえ。男はやっぱりこれぐらい惚れられたい,これぐらい激しくセックスされたいと思いながら熱唱し,女はこれぐらい激しく惚れたい,犯すように男とセックスしてみたいと思いながら熱唱するのでしょうかねえ。
ご苦労様です。今日はこのへんで(笑)。
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・・・歌詞あるいは歌われざる詩・・・
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