石川さゆりに歌の極意を見た(笑)
歌う事が好きだ。
楽しい。
聴く事もね。

この前職場の先輩と2人でよく行くスナックで飲んでいて、ばったり出くわした知り合いの一団の中に混ざって飲んでた、ミュージシャン志望の若いのと話した。
みんなでカラオケでワイワイやってたのさ。
で、その人は僕に対抗してか僕が歌った曲と同じアーティストを追いかけるように歌うのね。鬱陶しくなって歌う曲を洋楽、主にスタンダード中心に切り替えたところ、酔った勢いで「あなたは歌うという事をどのように考えているのか?。あなたの歌はたしかに上手いけど気持ちが感じられない」とか言って突っかかってきた。
絡むなよもー(笑)。

もう実地で活動をしていないボーカリスト「崩れ」から見て、若いなぁと思った。
なんかどんな曲でも精一杯声を張り上げて歌ってるのね。詞の内容や曲想はあまり顧みず、技巧も何もなしに同じ声の出し方で同じようにフルパワーで歌うの。
で、彼と「歌うってどんな事か」って、小1時間かな・・・・・・絡んできたついでにと話し込んだんだけど、面白かったね。
彼曰く「どんな時でも100%、全力で気持ちを込めて歌う」って。で、僕の歌は「小器用にまとまっていて気持ちが感じられない」との事。
で、僕は「歌に気持ちを込めるって、具体的にどうやるものだと思う?」って問い返した。
彼はそこでやっぱり「気持ちを前面に出す」とか「感情をぶつけるように」とか、ごくごく抽象的な返答に終始してしまったのね。
これね、僕もまだまだ音楽に対する意欲に溢れてた若いころに、その時の師匠に言われた問いなのね。
その答えというか、歌うという事に関してごくごく初歩的な心構えの話なんだけど「その曲(メロディ、歌詞を含めた総体)がどんな感情を伝えようとしているか判断して、その局面で必要な声を出す」事ね。
これは「必死で声を出す」という事とはまったく違う事なのさ。
この歌詞があって、その部分はこのメロディに乗っている。で、次はこういう内容の詞でこういうメロディに展開していく。だからこの部分はこういう声の出し方をしよう。といったような分析の話。
これは声の出し方だけでなくて、立ち振る舞いや身振りなど、一流のボーカルになればなるほど反映される範囲は多岐にわたるんでしょうね。
声を出さない事が良しとされる局面だってザラにある。

曲中に、概ね「悲しい」という感情を描いている部分があるとするでしょう。
なんで悲しいのか、そしてその部分の後にどういった感情に展開していくのか、悲しくって、だから「頑張ろう」となるのか、それとも「ただ耐えて忘れようとする」となるか。それとも悲しかったけど「やっと喜びの季節がやってきた」となるのか・・・・・
その「悲しい」という感情自体も「絶望」なのか「忍従」なのか「諦観」なのか、それとも「追憶」なのか。
これらを詞の内容とメロディ(その部分のみならず、前後も含めて)から読み解いていく。
どの程度の声量がベストか、ヴィブラートをかけて扇情的に歌うか、声量を抑えてウィスパーっぽく溜息のように歌うか・・・・・その「悲しい」が「絶望」であるなら、絶叫するような歌唱でいいかもしれない。「忍従」であるなら、まぁ絶叫はできないよね。声量だけでなく音色も含めてね、どう選択するか。
局部的な視点だけでなく「ここで声量の頭打ちを用いてしまうとその後の盛り上がりでくどくなるかな?」とか「同じフレーズがに4度来るから、だんだんとクレッシェンド(だんだん大きく)していって、最後にストンとピアニシモ(とても弱く)でまとめよう」とか、曲全体を眺めての判断も必要になる。
そういった細かい事をあーでもないこーでもないと考えて、一曲の歌が成り立つ。
そういった事を「ね、だからこの部分ではフルパワーで声を出せないでしょ」とか、彼が歌ったある曲を題材にかいつまんで話していたら、ぼんやりとではあるけど納得してくれたみたい。

ぼくね、こういった「分析と選択」を、日本で最も多岐にわたって緻密に行なっている歌手は石川さゆりだと思うのね。
あの人を見てるとスッゲェ計算されてるというか、積み上げられた思索を感じるのね。
ずっと前ね・・・・・津軽海峡冬景色で、「さよならあなた~、私は~帰ります~♪」の部分で、マイクを持っていない方の手で目じりを拭いながらクルッとうしろを見返った事があるのね。
その振り返り方、首の傾け方、目じりの押さえ方、科の作り方がいかにも涙をこらえて帰っていく女の機微というか、そういったものにあまりにハマっていてね・・・・・。
普通さ、立ち歌の舞台で客に背中を見せるってある意味タブーなんだよ。でもこの「見返り」には、恐らく着ている着物の華やかな帯を見せる狙いもあったのかなと・・・・・。
背を向けるというタブーを曲の内容にバチッと嵌めてしまうなんざ・・・・・きっと日本舞踊とか色々やって分析して、見返るという行為がどうやったら「さよならあなた。私は帰ります」に見えるか、スッゲェ研究したと思うよ。
ひとつの見せ場だよね。
これ一発で惚れたね。「なんてスゲェ歌手だろう・・・・・歌うだけでなくてステージを自分の世界に染めちゃってるよ」って。
石川さゆりのステージには歌唱においても立ち振る舞いにおいても、そういった「見せ場」が凄くたくさんあるのね。
い、いや、ただそれだけなんですが(笑)。
でもこういった事が感じ取れるようになってきて、歌うという事の凄さが初めて認識されてきて鳥肌が立つ様な思いをした。
一流になればなるほどスゲェ事やってんだよ。

歌うって凄い世界だと思う。
「演じる」とも「奏でる」とも違う。
歌って、「メロディに歌詞がついたもの」ではなくて「詞にメロディがついたもの」でもない。作曲の経緯はともかくとしても、詞だけでは不十分。曲だけでも不十分。双方があってこそ初めて伝えられる感情がある。
詞とメロディの双方は等価な、不可分なひとつのもので、イコール「歌」になる。
曲と詞があって歌になる。初めて「歌」になる。別々に考えるのは間違い。
ムチャクチャ奥が深い世界だと思う。
歌うっていいなぁ。

はい、酔っ払っているのでいつもに増してダラダラとまとまりの無い長文になりました。
仕方ねぇだろ。歌うの好きなんだから(笑)。

本日の安眠盤、Helen Merrillの「Helen Merrill」
ではでは。
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