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“演歌の歌姫”坂本冬美が、昭和歌謡やニュー・ミュージックの名曲を歌ったカバー・アルバムをリリースした。デビュー以来23年間、演歌の王道を行く一方で様々なジャンルの歌にも挑戦して、表現者としてのキャパシティを広げてきた彼女だが、今回は自らのルーツを振り返るべく、原点というべき名曲を、新しいアレンジで歌う。名曲の魅力を再確認させるとともに、歌手坂本冬美に新しい魅力を作り出している名企画盤になっている。MUSICSHELF演歌歌手初登場です! 

--今回の企画の経緯から聞かせてください。今年1月にリリースされたシングル「アジアの海賊」のカップリング「また君に恋してる」の成功が大きいのでしょうか。

100%それですね。今年1月に「アジアの海賊」という、中村あゆみさんに作詞作曲していただいた曲をシングルで発売したんです。そのカップリングに「また君に恋してる」という曲を入れたんですね。これはCM用に作られた曲で、普通CMソングというのは、テレビで流れるフレーズだけ歌えばいいんですが、いい曲だったのでフルでレコーディングすることになったんです。さらに、それをシングルのカップリングとして収録することになって、リリースしたら、配信で評判になったんです。演歌の場合、まだ配信が弱いんですが、「アジアの海賊」の反応がよかったので、喜んでいたら、それを越える勢いで「また君に恋してる」が伸びていったんです。そういう反応を見て、カバー・アルバムの旬は過ぎているかもしれないけれども、今私が歌う“大人のラブ・ソング”を集めたアルバムを作ってみようよってことになったんです。

--これまでにもHISでの活動や「銃爪」(世良公則とツイスト)のカバーなど、演歌以外のジャンルでも活躍されてきた坂本さんですが、「アジアの海賊」と「また君に恋してる」のヒットは、新しい展開を促したわけですね。

HISは同じレコード会社だった(忌野)清志郎さんに気に入っていただいたのが始まりだったんですけど、あの頃はまだデビュー4年目くらいでしたから、今振り返れば自分では訳が分からないままにレコーディングしていたように思います。「銃爪」はCMソングで、回りの言うとおりに歌っていた部分が大きかったです。でも今回のアルバムは、子供の頃や青春時代に聞いて口ずさんでいた曲ばかりなので、仕事というよりは素の自分に近い感じで歌うことができたと思いますね。

--選曲はどのように行ったのでしょうか。

「また君に恋してる」が大人のラブ・ソングということから、大人が聞いて懐かしく思ったり、淡い青春時代を回想したりできる曲を選びました。年齢層でいうと40代から60代くらい。若くて30代くらいをターゲットに曲を選んでいきました。いい歌がたくさんあるので、まず30曲に絞って、それをすべて1コーラスずつ歌ってみたんです。それで自分の声に合う、あるいはコンセプトにしっかり合ったものを選んでいきました。選曲の際には、レコード会社のスタッフの方からもリクエストをいただいたんです。しかも社長さんからメールをいただいて。とても嬉しかったですね。

--収録曲のユーミン、沢田知可子、松山千春、サザン等々という流れが豪華ですね。

いい曲を選んでいったらメジャーなものが多くなっていったんです。でも、そういう曲は歌ってらっしゃる方のパワーがすごいし、ご本人のイメージが強いから、カバーするのは難しいんです。なので、作戦を練りまして(笑)、イントロを聞いても何の歌か分からないようにしようと。

--どの曲もアレンジが素晴らしいですね。曲はもちろん、オリジナル・アーティストへの思い入れも強いのではないですか。

そうですね。サザンや松山千春さんの曲は自分の青春時代を思い出しますし、当時がオーバーラップしますね。私は子供の頃から演歌が好きで、同級生がピンク・レディーやキャンディーズで盛り上がっているのに、私は石川さゆりさんが大好きだったんです。私が初めて買ったレコードは石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」で、そのころから演歌歌手になりたいと思っていたんです。それで、中学生になって、周りが松田聖子さんや中森明菜さんのファンになっていても、私は下敷きに石川さゆりさんの写真の切抜きを入れていたりしていたんです(笑)。そういうように、演歌しか知らなかったんですが、初恋の人からサザンオールスターズを聞かされたとき、ものすごい衝撃を受けたんです。最初は良さが分からなかったんですが、聞いていくうちに桑田さんの声とか歌唱力とかに演歌とは違うこぶしを見つけて、ほかにも表現力やメロディとか、あまりに素晴らしくてすべてにはまってしまいました。カルチャー・ショックといってよかったですね。

--当時は、アイドル歌謡やロック系、演歌、歌謡曲とかいうジャンルの垣根はあまりなかったですよね。子供でも普通に石川さゆりさんや五木ひろしさんの曲をヒット曲として聞いていました。例えば、「ザ・ベスト・テン」なんかで、すべてのジャンルが同じように紹介されても違和感なかったですもんね。

そうですよね。私も石川さゆりさんのファンでしたが、普通に松田聖子さんやたのきんトリオも好きでしたからね。今はいろんなジャンルが細分化してしまっていると思いますね。

--このアルバムでは、そんなジャンルの垣根を横断するように、数々の名曲がジャズやクラシック、AORなどにアレンジがされています。

例えば「あの日にかえりたい」は、私なりに歌ってみたんだけど、最初はボサノバのリズムに合わせてうまく歌うことができなかったんです。演歌をずっと歌ってきていると、感情を入れすぎて、熱唱したくなるところがあるんですね。でも、ボサノバはどこか抑え気味で、気だるさみたいなものを出さなければならない。リズムに乗り遅れてはいけないけど、後乗りみたいな(笑)。「時の過ぎゆくままに」もそうでしたね。ディレクターからは「このアルバムは皆さんに何度も聞いていただいて、心地よくなれるものにしたいので、なるべく熱唱はしないでください。感情を入れすぎないでください」って言われていましたね(笑)。

--苦労も多かったんですね。

いちばん違うのはこぶしですね。あと、自然に演歌の“ため”みたいなものが出てしまいまして。それがあってもいい曲もあるんですが、少し抑えた方がいいのもあって。なので、自分では物足りなく感じることもあったのですけど、「それくらいでちょうどいいよ」って言われて。でも、今回のレコーディングは自分の体を通して響いてくる声を感じながら歌うことができたんです。テレビやコンサートのときは、モニターから直に返ってくる声を聞いているので、ついつい声が大きくなってしまうんです。でも今回、ヘッドフォンから聞こえてくる自分の声は、心地よくて、気持ちよく歌えたんです。大勢のお客さんの前で熱唱するのとは違う意味で、音を楽しむという原点に戻れたような気がします。

--レコーディングは具体的にはどのように行われたんですか。通常の演歌の新曲のレコーディングと違ったところがありましたか。

久々のアルバム制作で、まして今回は演歌のレコーディングではないので、作りながらもワクワクするところがありましたね。全体的な流れは、ディレクターしか分かっていなかったので、自分でも上がりの予測が付かないままレコーディングしていた感じでした。全部歌い終わって全体像が分かったんです。

--いろんなスタイルのアレンジの中で、「恋しくて」「あの日に帰りたい」「夏をあきらめて」のジャズへのアプローチ、「恋」「大阪で生まれた女」のクラシックへのアプローチが素晴らしいです。

初めてアレンジを聞いたときにはゾクゾクしました。今回のアルバムの中で、私がどうしても歌いたかった曲が「大阪で生まれた女 」だったんです。この歌のカッコよさやBOROさんの歌う姿に憧れていて、デビュー当時からステージで歌わせてもらったりしていました。ただ、あのようなアレンジになるとは思っていなかったので(笑)、最初はちょっと驚いたんですが、いざ歌ってみると曲のパワーに導かれて、感情を入れることができました。 徐々に気持ちが高まっていくようにできているんですね。不思議でした。

--一方でポップスを演歌的に聞かせる曲もありますね。「時の過ぎ行くままに」なんかが該当すると思うのですが。

これは本当に大好きな曲なので、どうしても感情が入ってしまうんですよ。ディレクターには、特に“カ行”を抑えてくれと言われて歌ったんです。そういう意味では、何度も歌いなおした曲ですね。歌って改めて思ったんですが、沢田研二さんは本当にすごい歌唱力を持っている方ですね。オリジナルを聞くと、私には回せないこぶしが入っているんですよ。何度やっても、絶対に真似できないんです。最後のほうの「背中合わせる~♪」というところなんですけどね(と言って歌ってみせる)。

--そうなんですね。では、歌詞の面ではいかがですか。歌ってみて、魅力を再発見した曲はありましたか。

「恋」がいちばんオーバーラップしたというか。これは松山千春さんが作った“おんな歌”なんですが、よくここまで女性の気持ちが分かるなと思いました。この曲に歌われていることは、女性なら誰でもきっと同じ気持ちになったことあると思うんですよ。だから、かなり感情移入してしまいましたね。学生の頃に聞いていたときには、いい歌とは思っていても、ここまで深くは、意味とか分かりませんでした。この歳になって歌ってみて、やっぱり深いなあと。

--「会いたい」は、かなり重い内容ですよね。

これは逆に感情を乗せないで、物語を語るように歌ったほうがいいんじゃないかと思いました。私自身、最愛の父親を突然失ったつらい経験がありますので、どうしても気持ちが高まって歌に感情が入りすぎてしまうので、歌の主人公になりきるんじゃなくて、どこかで客観的に見て伝えた方がいいんじゃないかという気持ちで唄いました。

--昭和の名曲を歌ってみて、いまの楽曲と違うと感じたところはありますか。

昔の曲はストレートな言葉で伝えるだけではなく、その裏に隠れている意味が感じられるんです。伝えたいことが100%書かれているわけではないんですね。あとは聞き手が、自分の気持ちをそこに乗せてくださいという、隙間のようなものを残してくれているような気がします。それで、多くの名曲を歌ってみて改めて思うのは、何十年経っても歌いたくなるような歌がたくさんあった時代なんだなとしみじみ思いますね。だからこそ、今の私たちもそういう曲を次の時代に残る曲を作っていかなきゃいけないんだなって思いますね。こういった曲を歌い継ぐことは大事だけど、これから歌い継がれる曲を作ることも大事なんだなと。

--個人的な感想として、このアルバムを作ってみていかがでしたか。

私は演歌歌手でデビューして23年間、なかには「夜桜お七」のような斬新な曲もありますけども、本当にドが付く演歌を歌ってきたんですね。だから、まさかこのようなアルバムを出すとは、夢にも思っていませんでした。でも今改めて振り返ってみたとき、清志郎さんとの出会いがあったことで、自然な流れとしてここに辿りついたのかなって感じていますね。清志郎さんが他のジャンルへの挑戦を促してくれたというか。だからとても感謝していますね。

--最後にジャケットの話も伺いたいのですが、今回かなりカジュアルな感じですね。ファンの方は驚かれるでしょうね。

洋装のジャケットはありますけど、ここまでラフな感じはないですね。でも撮影のときは着せ替え人形状態でした(笑)。「アジアの海賊」を出したとき、若いファンの方から「ジーパンとかで歌って」と言われたことがあったんです。「それはまずないでしょう!」って今年の初めに言ったばっかりなんですよ(笑)。なのに、こんなことになってしまって…。でも、いま言ったように、無理やりこうなったのではなく、自然の流れなので。コンサートでもこれまでは着物やドレスでしたけど、アルバムから3曲ピックアップして歌うことになったので、このスタイルでステージに立ってみようかなと。ご年配の方がどう思われるか心配なんですけど。

--でも「アジアの海賊」と「また君に恋してる」が配信という新しいメディアで評判になって、今回のカバー・アルバムでさらに新しい坂本冬美さんが注目されることは、本業の活動である演歌の方にも、今後かなりプラスになるのではないですか。

まさにそうなんですよ。再来年がデビュー25周年になりますので、そこは王道を行かないといけないと思っているんです。今まで以上にいい歌を歌っていかなければと思っています。
<インタビュー・文 / 竹部吉晃>


Singer“坂本冬美”初の試み
ラブ・ソング カバー・ベストアルバム 『Love Songs 
~また君に恋してる~』
2009.10.7 ON SALE!
EMI MUSIC JAPAN
TOCT-26891 / ¥3,000(tax in.)
 

収録曲
1.また君に恋してる
“いいちこ日田全麹”TVCM曲
2.恋しくて
3.あの日にかえりたい
4.会いたい
5.言葉にできない
6.恋
7.夏をあきらめて
8.シルエットロマンス
9.片想い
10.なごり雪
11.時の過ぎゆくままに
12.大阪で生まれた女

Bonus track:また君に恋してる
duet with ビリー・バンバン


坂本冬美
1986年、NHK「勝ち抜き歌謡天国」(和歌山大会)で名人となり、審査員・猪俣公章氏に認められ、86年4月上京。1987年、19歳のときに「あばれ太鼓」でデビュー。
デビューより23年、「夜桜お七」など数多くの名曲を発表。
Singer“坂本冬美”初の試みとして、ラブ・ソング カバー・ベストアルバム『Love Songs~また君に恋してる~』を10/7にリリースした。

オフィシャルHP
http://www.fuyumi-fc.com/index.shtml

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 演歌歌手石川さゆり(51)が22日、野外フェスティバル「京都音楽博覧会」に登場し、ロックバンド・くるりと異色のセッションを披露した。同 フェスを主催したくるりのボーカル岸田繁がこの共演のために作った「夜汽車はいつも夢を乗せて」をくるりの演奏に合わせしっとり歌い上げた。

 1万3000人の観衆を前に石川は「来ちゃいました~。初めての野外(フェス)でのステージです、お~っ」と興奮を隠せない様子で計8曲を熱唱。この日偶然連絡のあったというマリナーズ・イチロー選手にも「マジッすか!」と出演を驚かれた秘話も明かした。

 ほかに奥田民生、矢野顕子、ベン・クウェラー、BO GUMBO3 feat.らきた、ふちがみとふなとが参加。

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喜び悲しみ・・・歩いた道を語ります
 いつのまにか年の瀬になってしまいましたが、この1997年は私にとって、一生忘れられない年になりそうです。
デビュー以来お世話になっていたホリプロから独立したのが年の初め、そして、4月にはデビュー25周年記念コンサートのスタート。
 一年かけて全国を回る計画のこのコンサート、すでに70ヶ所以上を回りましたが、どこへ行っても、超満員のお客さまの温かい拍手や声援にむかえられ、改めてファンの皆さまのありがたさを身にしみて感じています。
 中には、東京、名古屋、大阪、九州と行く先々に駆けつけてくれる方々も大勢いらっしゃいます。皆さん、昔からの私のファンで、ステージからお顔を拝見していると、どなたもついこの間までは若者だったのに、今やリッパな中年。
 ―――皆さんずいぶん年取っちゃったのねェ。
来年は40歳の大台に乗る自分自身をタナにあげ、そう思ったりしますが、同時に、
 ―――ああ、私は歌い手として、この人たちとともにずっと歩いてきたんだ。そうして、いつのまにか25年という歳月がながれたんだ・・・。
 そんな思いが胸の奥からこみあげてきます。
 「その歳月を書いてみませんか?」というお話をいただいた時、文章なんてろくに書いたことがありませんから、初めはとまどってしまいました。実際、お断りしようとも思いました。
 でも、こうして書き始めたのは、作家の水上勉先生が以前おっしゃった言葉を思い出したからです。
             ♪              ♪
 ご存じのように、水上先生はまだ少年の頃にお坊さんになられましたが、日々の修行のひとつに、高僧のあとについて、100人ほどのお坊さんがお経を唱えながら歩く行があったそうです。その行をしながら、少年の水上先生はふと気づきました。
 ―――大勢が一斉に声を出してもただ騒がしいだけで、まわりの人たちの心には届かない。一人がひとりに対してなにかを訴えてこそ、まわりの人も耳を傾ける。
 この思いが、作家になってからも先生の心に宿り、
 「だから、僕は小説を書く時、いつもひとりの人だけに向けて書いているんだよ。」
 やさしい笑顔でそうおっしゃられた時、私はハッと胸をつかれたような気がしました。大勢のお客さんの前で歌う私は、ひとりの人の心の奥深くまで届くように歌っているのだろうか。みんなに受けるような歌い方をしているんじゃないだろうか・・・。
 たったひとりの人に向けて歌う。歌い手としてはそれは、目がさめるような発見でしたが、この文章を書くにあたって思い出したのが、やはり水上先生のその言葉でした。
 ―――そうだ、文章がつたなくともいい。ひとりの読者、あなただけに向かって素直に語りかければいいんだ。そうすれば、私の本当の心が届くかもしれない・・・。
 そう自分自身にいい聞かせながらペンをとったのです。
 水上先生といえば、私には実は”宝物”があるんです。5年前の20周年の時、記念アルバムの題をご相談したところ、色紙に書いてくださったのは「道」という一文字。
 その字を前に私、生意気にも口走ってしまったのです。
 「先生、”道”って地味じゃないですか。”華”とか”雅”とかのほうが・・・・」
すると先生は静かにこうおっしゃったのです。
 「私はあなたを花より、草にたとえたいな。草は花よりもっと土に根をおろし、強くたくましい、そして可憐だよね。あなたは20年、この道を歩いてきた、そしてこれからも歩いていくんでしょ。道には石ころが転がっていたり、花が咲いていたりいろんなことがあって、道草をを食うこともある。でも、それはとても素敵なことなんだよ」
 これで”道”という言葉がすっかり好きになり、先生にいただいた色紙は私の大事な宝物になっています。
 それから5年、今度は先生に「行」という字をいただきました。「道」を「行」く。うまずたゆまず、でも焦ることなく自分の道を一歩一歩行きなさい――そんな先生の励ましが字の奥から聞こえてくるようです。
               ♪              ♪
 この25年、歌を通して様々な女性を表現してきました。耐える女、情念の女、愛らしい女・・・・でもそれは、別々の女性ではなく、私自身をふくめあらゆる女性が女性が内に秘めているものだとおもいます。
 14歳でデビュー、順風ばかりではありませんでした。下積みも経験しましたし、私生活では結婚、出産、離婚と言葉にできないほどの喜びや悲しみを味わいました。そんなひとりの人間としての変化や成長が投影されたのが、私の歌かもしれません。その意味で私にとって、歌は人生そのもののような気がします。
 この3月、25周年記念として、5枚のシングルを同時発売しました。5枚10曲、つまり10人の名だたる作詞家・作曲家の先生方が私のためにオリジナルをプレゼントして下さったのです。
 詞も曲もまったく色合いが異なる10曲を歌う私は、10人の女を演じているともいえますし、自分の中の女の要素をすべてさらけ出しているともいえます。
 たとえばメインで歌っている『歌麿』(吉岡治作詞・弦哲也作曲)には、厳しい恋が描かれています。「火を抱いて闇の中」「刃を渡るきつい恋だから」・・・・そんなフレーズと切り結ぶように私も全身でぶつかって歌い、それを和楽器が劇的に仕上げています。すごく大きな歌で、私の代表作になるような予感もあるほどです。
 もうすぐ年末、恒例の紅白歌合戦では、『歌麿』と同じ作詞・作曲家による名作『天城越え』を歌います。そして新しい年の3月いっぱいまで全国コンサートを続け、充実した25周年をしめくくりたいと思っています。
 自分の道を歩いて得る友を「道友」と呼ぶのだそうです。25年の歳月を振り返りつつ歩くこの連載、あなたも「道友」になってくださいね。
  
こころの詩を・・・石川さゆりVol-1




心一つに燃えた「天城越え」秘話 
明けましておめでとうございます。よいお年を迎えられたこととおもいます。
 私もこの一月末で40歳、不惑の年です。果たして惑うことなくやっていけるのかどうか・・・たとえ惑うことがあっても、自分の道を信じつつ歩いていこう、改めてそんな誓いを立てた元旦でした。
 ところで、大晦日のNHK紅白歌合戦、ご覧になっていただけましたか?
私にとっては20回目の出場となる記念の舞台でしたが、いっしょにステージに立つ歌い手の皆さんがどんどん若くなっているのを、年毎に感じさせられます。年齢だけでなく、歌そのものもどんどん変わっていってます。
 「歌は世につれ」といいますから、歌の世界の変化もやむをえないことでしょう。でも、どんなに時代が変わっても、そうたやすく変わらないものもあるはずです。
 たとえば、人の心。親子の絆、夫婦愛、男と女の恋や別れ・・・・そこにこめられた喜びや悲しみ、いとおしさ、切なさ、つらさ、苦しさ、迷い、未練・・・・これらはいつになってもそう変わるものとは思えません。
 ただ、歌という形をとるとき、その表現方法が時代や年齢に応じて変わってくるのではないでしょうか。その意味では、若い人たちの歌も、時代という枠の中で、自分たちの心を自分なりに表現しているのかもしれませんね。
                            ♪
プロの芸を見せてくれよ!
 20回目の紅白歌合戦で私は『天城越え』(吉岡治作詞・弦哲也作曲)を歌いました。11年前にも歌ったこの歌は、初出場のときの『津軽海峡・冬景色』と並んで、私の代表曲と呼ばれ、ファンの方たちにも最も親しまれています。
親しまれると同時に、『天城越え』についてよく耳にするのは「いざカラオケで歌うとなると、すごく難しい歌」という感想です。
 そんな感想を聞くたび、私自身、「そうだろうなァ」と思います。というのも、この歌をいただいたとき、作詞の吉岡先生は、まず、こうおっしゃったのです。
 「カラオケの人がとても歌えないような、これがプロの芸だ、というものを、この歌で見せてくれよ」
カラオケ好きの方には、ずいぶん意地悪な言葉かもしれませんが、先生の真意はもちろん、意地悪にあるわけではありません。
 演歌がすこし元気のないこの時代、いままでにない歌を作ろう、そのために歌い手の私も、自分の持てる力を全部そそぎこめという意味です。
 実際、この『天城越え』という歌にかける先生の意気込みはすごいものでしたが、それは吉岡先生だけじゃなく、作曲の弦先生、ディレクターの中村一好さん、みんな、同じでした。
 歌の舞台になる伊豆の宿に皆さんでこもり、議論を重ね想いを練ったあげく、出た結論は、「これまでの石川さゆりを壊す。良妻賢母のイメージをぶち壊そう」―――なんともコワい話だったのです。
 可愛想なのは、そんな”密約”を知る由もない私、できあがった歌詞を見せられ、呆然としてしまいました。
 新しい歌詞をいただくたびに、それをバラバラにほぐしながら、自分なりに主人公の女性をイメージし、それを組み立てていくのが、私のやり方です。
 ところが、目の前に突きつけられたのは、夫の不倫現場に踏み込み、修羅場を演じる妻がテーマの歌詞・・・・中でもあとですっかり有名になったフレーズ、「誰かにとられるくらいなら あなたを殺していいですか」
―――こんな言葉を口にする女性を、いったいどうイメージすればいいのだろう。とても私には歌えない・・・・
 といって、プロの歌い手である以上、いただいた歌を投げ出すわけにはいきません。数え切れないほど歌詞を読み返しながら、懸命にその世界に入っていこうとしました。一方でそれは、女としての自分の無意識の部分、闇の領域に入り込むような作業・・・・


「紅白のトリ」をとらせるぞ
 『天城越え』の歌詞と苦闘したのは、私だけではありませんでした。作曲の弦先生も同じだったのです。あとで知ったことですが、当時、作曲家に転身してまもなかった先生は、この歌に作曲家としてのご自身の将来をかけておられたのです。
 中村ディレクターもまた、「この歌でさゆりに、初の紅白のトリをとらせてみせる」という意気込みに燃え、和楽器を取り入れるなど、工夫に工夫を重ねていました。
 こういう全員の思いが結集してできあがったのが、昭和の名曲のひとつともいわれる『天城越え』だったのです。
いま思い出してみても、あのときの全員の熱い思い、それはすさまじいものでした。たがいに力を合わせる反面、これはギリギリの闘いです。最高の表現を得るために、それぞれがたがいに渾身の力をふり絞るのです。
 ですから歌手にとって、作詞家、作曲家、ディレクター、さらに編曲の先生もふくめ、皆さん実に心強いチームメイトであると同時に、手強い闘い相手でもあるのです。
 そういう相手に恵まれた私は、本当に幸せな歌い手、しみじみそう思います。
 こんなプロセスを経て生まれた『天城越え』ですが、私自身は「カラオケの人が歌えないような」歌い方を意識して歌っているわけではありません。
 ほかの歌も同じですが、自分の中のイメージをいっぱいにふくらませ、曲にこめらられた思いを聴いてくださる方に伝えようと、ひたすら念じて歌っています。
 余談ですが、「『天城越え』を歌う会」というのがあるんです。女優の浅丘ルリ子さん、加賀まりこさんら、この歌が好きな方たちの集まりです。私も一度お招きいただきましたが、どなたもご自分の『天城越え』にしていらっしゃり、逆に教えられたものでした。
 歌は世に出たときから、独り立ちします。あなたも、難しいなどと思わず、どうぞ、歌ってみてくださいね。

こころの詩を・・・石川さゆりVol-2


島倉千代子さんにあこがれて・・・
ふるさ
と―――だれもが心に秘めている自分だけの”心のふるさと”。
 地方から東京や大阪など大都会に出てきた人たちはもちろん、生まれ育った土地にずっと住む人にとっても、心のふるさとというものがあるのではないでしょうか。
 幼いころの自分をつつんでいた自然や人との触れ合い、町のたたずまい、お母さんの手料理・・・・そういう何でもないものが、本人にとってはかけがえのない心のふるさと、そんな気がします。
 私のふるさとは、熊本県飽託郡というところです。今はすっかり熊本市のベッドタウンになっていますが、当時は一面に田園が広がるのどかな農業地帯でした。野菜や果物の栽培が盛んで、「肥後でこ茄子」は今も全国的に知られる特産物です。
 昭和33年(1958)1月30日、長女として生まれた私は、幼稚園のころまでは父の実家に住んでいました。
 家の前がバスの停留所で、私の家でタバコやバスの切符を売っていました。その売り場というのが、テレビの画面のような小さな四角の窓口になっていたんです。
 で、二、三歳の私がそこに立つと、ちょうど顔から胸のあたりまでが外から見えるわけです。つまり、テレビ画面に映っている感じですね。
 この窓口が、私の歌手への道のスタートだったのです。

バス停前でミニコンサート
 バスの発車時刻が近づき、目の前のバス停に人が並び始めると、店番をしている祖母が幼児の私を呼び、
 「ほら、歌ってごらん」
 といいます。司会ですね。呼ばれた私はとことこ歩いて窓口の前に立ち、胸を張って歌い出します。歌は決まって島倉千代子さんの「恋しているんだもン」。二、三歳の私にとって、これが最初から最後まで歌える唯一のレパートリーだったのです。
 母が島倉さんの大ファン、しょっちゅうこの歌を口ずさんでいましたから、私もごく自然に覚えたのでしょう。やがて、祖母に教わった『カチューシャの唄』とか『船頭小唄』、『かえり舟』などがレパートリーに加わりました。
 バスの発車時刻のたびに開かれるこのミニコンサート、いつしか近所の名物になってしまい、豆歌手の私が窓口に立つと、バスに乗らない人たちまで集まってきて、やんやの拍手喝采、リクエストやアンコールの声もかかり、私はいい気持ちになって歌いまくったものです。
 とはいっても、実際のところ、このころの記憶はありません。記憶がないのに、そうして歌っている幼い自分自身が、まるで絵に描いたようにくっきりと見えるのです。
 祖母や母に何度も聞かされているうち、そうなったのでしょうが、これが歌い手としての私の、いわゆる原風景といえるかもしれません。
 小学校へ上がる時、母の実家の飽田町へ移りました。父は熊本市の交通局に勤めていましたが、母が実家の八百屋を継ぐことになったのです。
 この母はとにかく元気な働き者、朝早くから車を運転し市場通いです。小学校3年生の時、私の下に弟が生まれてからは私が母親代わりで、毎朝ミルクをあげ、おむつを取り替えたりしたものです。
 働き者の母は歌も大好きでレコードも沢山持っていました。幼児期の歌の”先生”が祖母なら、それ以後は母とでもいえるでしょうか。とくに小学2年の時、熊本市で開かれた島倉千代子さんのコンサートへ母に連れて行かれ、それが私にとって、歌との運命的な出会いとなったのです。
 生まれて初めて見る歌謡ショー、幕が上がった瞬間から私の目はステージに釘付けになってしまいました。そこはまったく別世界でした。
 色とりどりの鮮やかなライトにつつまれ、着物姿でマイク片手に立つ島倉さん。その紫色の着物をいまもはっきりと覚えているほどです。
 ―――私もあそこに立ち、ライトを浴びて歌いたい。
 そんな思いが胸にきざしたのです。はたから見れば、子供っぽく他愛ないあこがれだったのでしょうが、幼いなりに私は真剣でした。「歌手になりたい」が、いつしか「歌手になる。きっとなる」という私だけの秘めた”決意”になっていったのです。

ふるさとは私の心の中に・・・ 
小学5年のとき、熊本から横浜に引っ越すことになりました。父の職場が縮小され、両親は私と弟を連れ、都会に出たのです。
 大都会に出ることは、歌手を夢見ていた私にとって、その夢に一歩近つ`くような喜びでした。でも、一方では、自分を育んでくれたふるさととの別れという寂しさ、つらさもありました。
 そのころの日本は、高度経済成長が始まり、何もかもがものすごい勢いで変貌していました。横浜という大都会に移ってみると、それをまざまざと目のあたりにします。
 昼夜となく煙を吐く巨大な工場群、林立するビル、おびただしい車の洪水・・・・ついこのあいだまで、少女の私が犬を連れ走り回っていた熊本の田舎とくらべると、同じ日本とは思えないほどです。
 私はふるさとが恋しくてしかたありませんでした。豊かな自然や静かな町のたたずまい、人との触れ合いのぬくもり・・・・失ったものの大きさに初めて気付かされる思いでした。
 生まれ故郷を出てもう30年になりますが、7年ほど前、飽田町が熊本市に合併されるとき、私も記念イベントに招かれました。
 その席で私は、
 「町はなくなっても、煙突の立つ工場地帯にはなってほしくありません」
そんなお話をしました。故郷は心のふるさととして、今も私の中で生きています。
 のちに、『20世紀の名曲たち』というシリーズで、過去のすばらしい歌を自分なりに歌い直す作業を始めたのも、日本人の心のふるさとを掘り起こし、それをきちんと残しておきたいという思いがあったからです。
 日本の女性を歌うオリジナルと並び、このシリーズ、私のライフワークともなりそうです。

こころの詩を・・・石川さゆりVol-3




牛乳配達をしながら「歌の勉強」
 小学5年生の時、故郷の熊本から横浜へ引っ越してきた私は、6年生になってから歌のレッスンに通うようになりました。
 熊本で、母に連れられ島倉千代子さんのコンサートを見て以来歌手への夢がめばえ、年を追うごとにその夢がふくらんでいたのです。
 当時、父は運送会社勤め、母は保母として働き、生活は楽とはいえませんでしたが、「歌を勉強したい」という私の願いを両親ともに許してくれました。母は「最後まで投げ出さずにがんばるのよ」と励ましてくれましたが、こう釘をさされたんです。
 「塾の月謝は払ってあげるけど、歌の月謝はなんとか自分でやってみなさい」
で、中学生になってからアルバイトです。何のバイトか分かります?これがなんと牛乳配達。というのも、中学生ができるバイトというと、新聞配達か牛乳配達くらいで、新聞は日曜日も休みなしですが、牛乳だと土曜日に2本配れば日曜日が休めますから、歌のレッスンにも通えるというわけです。
 でも牛乳って、毎朝5時には全部配り終えてなくちゃいけないんです。まだ真っ暗なうちに起き、牛乳瓶を40~50本も詰め込んだ布袋をかかえて、一軒一軒配るわけです。おまけに私の担当地域が団地、重い袋を引きずるように5階まで歩いて上がるのです。女子中学生には、けっこうハードな仕事です。
 時には寝坊して、母に手伝ってもらったりしましたが、決して休みませんでした。これも歌のためと、最後までネをあげなかったんですから、われながらエライ!
 そんなことをしながらレッスンに励んでいた私に、思いがけず歌手への道が開けたのは中学3年の時でした。


こども歌謡大会代打出場で優勝 
その頃、フジテレビの夏休み企画に「こども歌謡選手権」という番組があり、私の歌友だちが応募していたんです。ところが大会が夏休み中で、彼女は田舎に帰るので出られないというのです。
 「じゃ、私が代わりに」
と、テレビ局に出かけ、怖いもの知らず、彼女あての応募ハガキの宛名を消し、自分の名前を書き、受付に・・・・さすがにドキドキしましたが、なぜかすんなり通ってしまったのです。
 それからあとは、もうあれよあれよという間、予選に合格し、チャンピオン大会に出場、『船頭小唄』を歌って優勝――司会者に「おめでとうございます!」といわれた時は、夢でも見ている感じ。
 そこへ、今度はフジテレビの連続ドラマ出演の話です。今時のタレント志望の若い子なら跳び上がって喜ぶのでしょうが、その時の私は歌手しか頭にありません。
 「ドラマ?私、歌手になりたいんです」
 「だけど、ドラマはいろいろ勉強になるよ」
こうして、訳が分からないまま、石坂洋次郎原作・岡田太郎演出「光る海」にレギュラー出演しました。共演者は沖雅也さん、島田陽子さん、中野良子さん、芦田伸介さんなどすごい顔ぶれで、私は沖雅也さんの妹役でした。
 14歳の芸能界デビュー、スタジオで見るもの聞くものすべて初めて、ひたすら言われるままに演じていましたが、果たして演じていたのか、地のままだったのか・・・・。
 このドラマは半年間続きましたが、実はその間も例の牛乳配達をまだやっていたんです。で、いつものように団地で配っている時、ある家の奥さんが、
 「あら、あなた、どこかで見たことあるわ。あ、テレビに出てるでしょ、あなた?」
別に悪いことじゃないのですから、「ハイ」と答えればいいものを、私は、
 「い、いいえ、違います」
そういって、逃げ帰ったのです。恥ずかしいせいもありましたが、やはり女優じゃなく、歌手として認められたいという気持ちがあったんですね。それほど私の中で、歌手への夢は強かったのです。


森昌子や山口百恵と一緒に合宿
 ちょうどその頃、歌の先生に紹介していただき、レコード会社へひとりで訪ねて行ったこともあります。あいにく紹介してもらった相手の方は留守、でも、そのまま帰るのがもったいなく、ひとり椅子に座って社内の雰囲気をうかがっていました。
 昭和47年(1972)の当時、歌謡曲の全盛時代、壁には大勢の歌手の新曲ポスターがずらりと並び、沢山の社員の人たちが威勢のいい口調で電話をかけたり、忙しそうに走り回っったりしていました。さらには、テレビの歌番組でいつも見ている有名歌手の方が、「おはようございます」とにこやかに挨拶して通り過ぎたり・・・・。
―――そうかァ、こういうところで歌が作られてるんだ。ああ、私も早く歌手になりたい・・・・。
 そんな思いにかられたものでした。
 ホリプロからスカウトされたのは、ドラマ出演の最中でした。ホリプロといえば、歌謡界の大手プロダクション、願ってもない幸運です。
―――これで、私もあこがれの歌手になれる!
 天にものぼるような気持ちでしたが、その半面、なんだか現実感がなく、ホントかなァ・・・・そんな感じ。長いあいだ夢見ていたものがいざ実現するとなると、かえって信じられないものなんですね。
 無理もありません。私の娘がもうすぐ中学3年になりますが、その年頃です。大人のようで子供、子供のようで大人という微妙な年齢ですね。
 こうしてホリプロに入った私は、デビューしたばかりの森昌子ちゃん、私のすぐあとに入ってきた山口百恵ちゃんたちと顔を合わせました。
 みんな同じ年頃、海や山での合宿なんかの時は、みんなでふざけ回って遊んだり、感想文を書くのにたがいに頭をひねったものでした。
 そして昭和48年3月、『かくれんぼ』(山上路夫作詞・猪俣公章作曲)で、いよいよ歌手デビューすることになったのです。

こころの詩を・・・石川さゆりVol-4




「スタ誕3人娘」に追いつくぞ!
 生まれて初めていただいた自分の歌、詩も曲も私のために書かれた一生に一度の歌、それがデビュー曲です。
 『かくれんぼ』の譜面を初めて手にした時の感動は、25年たった今も、鮮明に覚えています。
 ―――これが私の歌なんだ、歌手になったんだ・・・・!
 胸の底から、そんな思いがこみあげてきたものでした。
 この歌は、ほのぼのとした画風で有名な故谷内六郎さん、その絵の世界を歌に表現するという企画でつくられました。
 レコード会社は日本コロムビアでしたが、当時デビューする新人歌手には、キャッチフレーズがつけられる習わしで、私についたのは「コロムビア・プリンセス」。
 「コロムビア・プリンセス石川さゆり」と自分でつぶやいてみて、なんだかおかしくなりました。プリンセスがついこの間まで牛乳配達をしてたなんて・・・・。
 喜びの半面、不安も大きいのがデビュー曲です。無事にレコーディングも終わり、発売は昭和48年(1973)3月25日と決まりましたが、それからが不安でした。その日に間違いなく自分のレコードがお店に並ぶのだろうか、ちょっと怖いような思いで、あと30日、あと25日・・・・と、カレンダーを塗りつぶしては待ち焦がれながらも、
 ―――もし、だれか会社の偉い人が「あのレコード、発売は止めにしよう」などといい出したら・・・・。
 そんな空想をしては、15歳の胸を痛めたものでした。
 そしてその日、ドキドキしながらレコード屋さんに入っていきました。私の目に真っ先に飛び込んできたのが、レコードジャケットの中、純白の帽子をかぶって笑う私の写真。
 ―――やった、やったァ!
 まわりに人がいなければ、そう叫んで跳び上がりたい気持ちでした。


どうして私だけが置いてけぼり
 デビューと同時に、キャンペーンが始まりました。まもなく東京の堀越学園高校に進学した私は、横浜の自宅から通うのは大変だからと、ホリプロの現在の副社長さんの家に住むことになりました。
 はじめて両親のもとを離れ、他人の家で暮らすのは心細いものでしたが、これも歌のため、それに会社のほうもこんなに気使ってくれてるんだから・・・・そう、自分にいい聞かせたものでした。
 当時ホリプロでは、同じ年の3人の新人を「ホリプロ3人娘」として売り出す計画を立てていました。森昌子ちゃん、私、山口百恵ちゃんの順です。いわば同じ事務所のライバルですが、みんなまだ14、15歳、ライバル意識より遊び仲間の気分でした。
 計画通りにデビューしたものの、そこから少し様子が変わってきました。昌子ちゃんのデビュー曲が大ヒットし、その年の紅白歌合戦に最年少で初出場、翌年には百恵ちゃんも紅白出場。
 同じころに、別の事務所から桜田淳子ちゃん、アグネス・チャンさんなどもデビューし、脚光をあびていました。
ところが、私のデビュー曲はある程度売れたものの、とても大ヒットとはいえません。「ホリプロ3人娘」に乗り遅れたばかりか、日本テレビでは「スタ誕3人娘」として、昌子ちゃん、百恵ちゃん、淳子ちゃんがぐんぐん人気をあげていったのです。
 私ひとり置いてけぼり・・・・「鬼の私はさがしてた」というフレーズが『かくれんぼ』にありますが、鬼ごっこをしているうち、私だけがはぐれてしまったような感じでした。
 おまけに、当時はアイドル歌手が沢山出ていて、テレビのオーディションなどで、あまり歌が上手とは思えない新人が合格する、そんな光景を見ると、
 ―――芸能界は実力だけで動いてるんじゃないんだ・・・・。
 15歳で気付くには残酷すぎる事実を思い知らされたものでした。でも、心の底から歌が好きな私は、一生懸命歌うしかありませんでした。


出席率バツグンの”劣等高校生”
 2曲、3曲、4曲・・・・と、つぎつぎに出すレコードは、そこそこに売れても相変わらず大ヒットは出ません。
8曲目の『あなたの私』(千家和也作詞・市川昭介作曲)の時は、市川先生のお宅へレッスンに通い、初めてファルセット(裏声)を入れるなど、工夫もしましたが、やはり今ひとつです。
 当時、音楽記者の方たちに「石川さゆりの歌唱力は申し分ないのだが・・・・」というような批評をよくされました。ヒット曲は上手下手とは別に、時代の風に乗ることが必要です。あのころの私は、それに乗りきれなかった、今になるとそれがよく理解できます。
 いつのまにか、デビュー3年がたっていました。私の通っていた堀越学園高校芸能コースにはタレントや歌手が多く、生徒同士では出席率が悪い者ほど”優等生”視されていたものです。売れっ子ほど学校に来られないわけです。そんな中で私は出席率がよく、従って”劣等生”・・・・。
 それでなくとも多感な青春期、いやでも落ち込み傷つく私をいつも支えてくれたのは母でした。
「あなたの歌のうまさは、だれより私が分かってる。大丈夫だよ、そのうちきっとみんな聴いてくれるから。必ずそうなるよ」
 働き者で楽天的な母は、にこにこ笑いながらそういうのです。母はまた、洋裁が得意で、デビューしたてのころは一生懸命に衣裳を縫ってくれたりしました。こんな母にどれほど励まされたことか。
 それと、スタッフも大きな支えでした。
 「さゆりちゃんの歌は演歌っぽいから、本当のよさがなかなか分からない。でも、いつかみんな分かってくれる」
毎週のようにベストテン番組に出演し、新幹線のように突っ走る昌子ちゃん、百恵ちゃん、淳子ちゃんを横目に、ひとり自分にこう言い聞かせていたものでした。
「たとえ鈍行電車でも、いつか大ヒットを出すまではやめないゾ。大ヒットを出したら、歌手をやめてやる!」

こころの詩を・・・石川さゆりVol-5


新宿コマで初のワンマンショー
 歌手にとって、デビューのつぎに晴れがましい舞台といえば、なんといってもワンマンショー。自分だけでお客さまを呼び、自分の歌を中心にステージを作る。新人歌手ならだれもが夢見るものです。
 私の初めてのワンマンショーは昭和51年(1976)3月末、新宿コマ劇場でした。デビューして3年、まだ大ヒットもなく紅白歌合戦出場も果たしていませんでしたが、中ヒットはいくつかあり、それでワンマンショーを開いていただいたのです。
 この晴れのステージには、同じホリプロの森昌子さん、山口百恵さんが友情出演してくださいましたが、なにより私が感激したのは島倉千代子さんの応援出演でした。小学年のとき、郷里の熊本で島倉さんのコンサートを見て歌手をめざすことになった私が、その島倉さんと同じステージに立つのです。
 島倉さんは日本コロムビアの大先輩でもありますが、当時のコロムビアには、美空ひばりさん、島倉さん、都はるみさんをはじめ歌謡界のスターが歌手がそれこそキラ星のごとくいらっしゃいました。
 そういう先輩の中でも島倉さんには、とくに妹のように可愛がっていただきました。歌手といってもまだ子供の私は、お化粧のしかたから教えていただいたものです。それだけじゃなく、
「つらいことがあっても、それを無駄にしないで自分の身につけていくのよ」
 そんなふうに、歌と人生の先輩としてのアドバイスもいただきました。大ヒットが出ず悩んでいた私には、それがとても大きな励みでした。


島倉大先輩から振り袖の贈り物
 島倉先輩にいただいたものといえば、ステージ衣裳の着物もあります。小学生のときに見た島倉さんの着物の美しさは今も覚えていますが、そんな話をした私に、「さゆりちゃん、よかったらこれ、着なさい」と素晴らしい振り袖をくださったのです。舞台で着てらしたものですが、あこがれだった大先輩の着物に袖を通すことができる、こんなうれしいことはありませんでした。
 それに、着物ってすごく高価ですから新人のころはなかなかきることができません。私自身、最初のころはそうそう着物が作れなくて、ウールの安いものをずっと着てたりしてたんですね。そこに、あこがれの島倉さんから素晴らしいプレゼントだったのです。
 話は、はるか後年に飛びますが、数年前私は「演歌ルネッサンス」というコンテストのゲストとして呼ばれたことがあります。これは吉岡治先生がまだ陽の当たらない新人の歌い手のために、瀬戸内海の小豆島で毎年開いている催しですが、一生懸命に歌う新人の皆さんを見ながら、ふと昔の自分が胸をよぎり、
 ―――私にできることは何だろう・・・・そうだ、着物をプレゼントしよう。
 かって先輩にしていただいた喜びを、今度は後輩の方に差し上げたい、そう思ったのです。でも、自分の着物を差し上げるなど、変に思われないだろうかと吉岡先生にご相談したところ、「いやァ、それはいいね。励みになるよ」
 というわけで、優勝者の方に着物をプレゼントさせていただきました。目録を差し上げながら、遠い日の自分自身の感激を思い出したりしたものでした。


歌い手も震える阿久悠先生の詞
 話がずいぶん飛んでしまいましたが、私の初のワンマンショーは、島倉さんたちの応援もあって成功のうちに終わりました。
 このワンマンショーの日、私は堀越学園高校を卒業しました。本当は大学へ進んでもっと勉強がしたく、実はいろんな大学の受験資料なども取り寄せていたんです。でも、周囲の事情でそれは無理、また私自身、歌手として中途半端なままでした。
 「これが石川さゆりの歌」と呼ばれるような大きなヒット曲を出したい、そのためにはもう学生気分はふっ切らなくちゃ、そう思いながら社会人第一歩を踏み出したのです。
 そして、卒業の翌日にリリースしたレコードが『十九の純情』(阿久悠作詞・三木たかし作曲)でした。この歌を皮切りに『あいあい傘』『花供養』と、阿久先生、三木先生のコンビによる歌が続きました。
 阿久先生とはそれまで「スター誕生」などの番組でご一緒してましたが、私たち少女歌手にとっては”寡黙な怖いお父さん”っていう感じでしたから、とてもこちらから声をかけることなんてできませんでした。
 当時から先生はいろんな歌い手に詞を書いてらっしゃいましたが、いつだったか岩崎宏美ちゃんが、
 「阿久先生って、どうしてこんなに私たちのこと、よく分かるのかしら。レコーディングしながら私、思わず涙が出ちゃった」
 そんなことをいったことがあります。実際、多感な少女の思いや胸のうちを、まるですぐ傍で見ていたような詞なんですね。それがろくにお喋りもしたことのない先生から生まれるのですから、フシギでしかたありませんでした。
 私も素敵な詞を書いていただきました。最初のレコーディングの時、阿久先生は姿をお見せになりませんでしたが、それ以後もずっと同じです。「歌い手の現場には立ち会わない」、これが作詞家としての先生のスタイル、それでいて、どこからか時代や歌い手をじっと見すえている―――だからこそ私たち歌い手も驚いてしまう、そんな詞が生まれるんでしょうね。
 一方、作曲の三木先生にはレコーディングにも必ず立ち会っていただき、細かくアドバイスしていただきました。それだけじゃなく、「こういうレコードがいいよ」など音楽のいろんなことを教えていただきました。
 寡黙なままじっと歌い手や時代を見すえる阿久先生、いつも新しい音楽を志向する三木先生のお二人が、『津軽海峡・冬景色』をうみだしたのです。

こころの詩を・・・石川さゆりVol-6


「津軽海峡・冬景色」で紅白初出場
 高校を卒業して名実ともにプロの歌い手として歩き出した昭和51年、その秋に大阪の新歌舞伎座でコンサートを開くことになりました。
 早速、スタッフの方たちがステージの構成を練り始めたのですが、まだ大きなヒット曲がなく、コンサートを締めくくるエンディングにふさわしい曲がありませんでした。頭を悩ませながら考えこんでいたスタッフの一人が、
 「あれはどうだろ、今度のアルバムの最後のあれ・・・・」
 その頃私は、「365日恋もよう」というタイトルアルバムを出したばかりでした。阿久悠・三木たかし両先生によるオリジナル12曲で、ちょうど暦のように1月から12月までの歌がおさめられていました。スタッフがいう「あれ」はその12月の歌です。
 「あ、あれ? 私もいいと思います。すごくいい歌」私もすぐに同意しました。
 『津軽海峡・冬景色』というタイトルのその歌をレコーディングした時、いつもと違う感触があったのです。
―――これは聴いてほしい歌だなァ・・・・。
 すでに十数枚のレコードを出していましたが、そんな思いがしたのは初めてでした。ヒットしてほしいいう願いとは別に、とにかく聴いてほしい・・・・。
 そんな思いを起こさせる何かがその歌にはありました。歌詞を読み返すたびに、北の冬景色が鮮やかに目の前に広がり、その景色の中にひとりリンと立つ女性の姿が浮かび上がってくるのです。
 阿久先生の詞の鮮やかさに加え、三連音符を駆使したメロディもすごく新鮮でした。作編曲ともに三木先生でしたが、まるで海鳴りのようなイントロからすでに最高の音――こちらがドキドキするほどの鮮烈なメロディでした。
 「じゃ、エンディングはあれで行こう」
私もふくめスタッフ一同うなずきましたが、その「あれ」がどんな運命をもたらすことになるのか、だれ一人気付いていませんでした。


「聴いてほしい」の思いをこめて
 初めて立つ新歌舞伎座のステージ。私はただひたすら「聴いてほしい」という思いをこめて『津軽海峡・冬景色』を歌いました。今でこそ、自分なりの歌の組み立て方を身につけていますが、その頃はただ歌にしがみついているという感じでした。まして、それまで歌ったことのない新しいタイプの曲、振り落とされないようしがみつくのが精一杯でした。
 そんな状態ですから、会場のお客さまの反応もよく分からなかったというのが正直なところです。手応えがあったような、ないような・・・・。
 ところが、次の日から事務所やレコード会社に電話が入り始めたのです。
 「あの最後の歌、もう一度聴きたい」
 「いつレコードになるんですか?」
 連日のように問い合わせの電話があり、会社は急遽アルバムからシングルカットすることにしたのです。
こうして昭和52年1月1日、『津軽海峡・冬景色』が私の15枚目のレコードとしてリリースされました。
 その前日の大晦日、紅白歌合戦では同期生の森昌子さん、山口百恵さん、桜田淳子さんたちが華やかなステージに立っていました。コタツに入ってテレビの中の彼女たちを見る気持ち・・・・ことさらライバル意識のなかった私ですが、同じ歌手として悔しくないといえば嘘になります。
 こんな思いも重なり、『津軽海峡・冬景色』のキャンペーンにはそれまでになく力が入りました。全国各地の放送局やレコード店さんを回りましたが、どこへ行っても「この歌はいいね。きっと大ヒットするよ」と励ましていただいたものでした。
 たとえば、青森放送のディレクター西沢弘さんは、真っ先に私をラジオ番組のゲストに呼んでくれたばかりか、3週間でレコードがすり切れるほど『津軽海峡・冬景色』を毎日、何度も番組で流してくれたのです。歌い手として、こんなありがたいことはありません。そういう皆さんの応援にこたえなければと、私も行く先々で一生懸命に歌い続けました。


ベストテン番組に同時に3曲も
 その年の冬は、東京でも例年になく雪が多かったのですが、そんな春先の寒い夜のことです。
 自宅で遅くまで寝つけずにいた私は、ふと戸外の小さな歌声を耳にしました。聞くともなく聞いていると、
♪♪こごえそうな鴎見つめ泣いていました・・・・
 そっとベランダに出て下を見ました。サラリーマンらしい中年男性が道の向こう側で立ち止まったまま歌を口ずさんでいましたが、よく見るとどうやらオシッコ・・・・やがて用を足した男性は歌い続けながら千鳥足で闇の中に消えていき、お世辞にも上手とはいえない『津軽海峡・冬景色』の歌だけが尾を引くように残りました。
 胸の奥に何かがポッと灯ったような感じでした。
その小さなできごとがまるできっかけみたいに、3月に入ってから急にレコードが売れ出したのです。いったん売れ始めたかと思うと、あとはぐんぐん伸び、あっという間に50万枚、60万枚・・・・おまけに『津軽海峡・冬景色』に続いて出した『能登半島』『暖流』も発売と同時にすごい売れ行き、テレビのベストテン番組に3曲が同時に並んだのです。
 いったい何がどうなってるのか訳が分かりません。私にとっては、自分の歌が大ヒットしているという実感より、突然嵐のような忙しさに巻き込まれた感じばかり。テレビ局からステージへ、ステージからテレビ局へと一日中駆け回る生活でした。
 そんな地に足がついていない状態が続き、年末が近ずくにつれ、今度は音楽賞ラッシュです。テレビ各局の音楽賞はじめ、日本レコード大賞歌唱賞、日本歌謡大賞放送音楽賞・・・・。
 まるで夢でも見ているようでしたが、最後のうれしい悲鳴が紅白歌合戦初出場決定の知らせでした。

こころの詩を・・・石川さゆりVol-7




快挙を共に喜んでくれた人たち
 デビュー5年目の『津軽海峡・冬景色』の大ヒット、数々の音楽賞受賞、そして紅白歌合戦初出場決定―――盆と正月がいっしょに来るといいますが、本当にそんな感じで、紅白出場決定のお知らせをいただいた時は、なんだか現実感がありませんでした。
 その夜、わが家の食卓には母の手作りの赤飯や煮物が並びました。子供の頃からなじんだそのお祝い料理を前にして、やっと喜びがこみあげてきたものでした。
 何よりうれしかったのは、まだ売れてない頃からずっと応援してくれていた方たちの祝福の言葉でした。とくに、キャンペーンで歩いては、いつも励ましていただいた地方の方たちから、
 「ほらね、きっと大ヒットすると僕がいった通りになったでしょ」
 「さゆりちゃんは、いつか必ず陽が当たると信じてたけど、本当によかった、よかったね」
 そんな電話が次々に入り、温かい言葉に思わず胸がキュンとなったものでした。
 そして、大晦日。どんな歌い手も初めての紅白歌合戦の舞台はひどく緊張するといいます。それだけ歌い手にとっては晴れの大舞台、まして5年目にして初めてそこに上がる私、さぞやガチガチに緊張と思うでしょ?
 ところが私ときたら、まったく緊張感なし。何しろうれしくてしかたない上、見るものすべて珍しく、
 ―――お、これが紅白歌合戦のセットかァ・・・・!
 要するにオノボリさん歌手状態で、その状態のまま歌い終えてしまったのです。



不遇時代の苦労なんかなかった
 紅白出場でようやく一人前の歌い手として認められ、新聞や雑誌の取材も一気に増えましたが、インタビューで必ず出たのが、「ヒットに恵まれないあいだ、苦労したでしょ?」という質問でした。
 それに対して私は「ちっとも苦労したという思いはありません」と答えていましたが、別に負け惜しみをいってたわけじゃないんです。ずっと励ましてくれる方々もいましたし、それより何より、歌うことが好きで好きでしかたなかったんですもの。
 たとえば、テレビの歌番組ではリハーサルがあります。売れっ子の歌い手さんはよく”本番飛び込み”といって、リハーサルには代役を立て、本番に駆けつけ歌うことが多かったのです。そんな時私は、自分から「私、歌いまーす」と代役を買って出たものでした。たとえ人の歌でも歌ってさえいれば幸せ、そのうえそれがずいぶん勉強になったんです。
 勉強といえば、ヒット曲に出合う前にいろんなお稽古ごとをしました。でも、これは勉強というより私の癖で、何か素敵なものに出合うと、
 「私にもできないかなァやってみたい」
 という気持ちがムクムク頭をもたげてくるのです。そうやって三橋美智也さんに民謡を習い、さらに二葉百合子さんに浪曲まで習いました。
 何かの役に立ててやろう計算してお稽古したわけではありませんが、そのどれもがあとになって活きたような気がします。生意気なようですが、不遇時代にこそ本当のしっかりしたものを身につけることができるのかも知れませんね。


「津軽海峡・・・」は女性の自立の歌
 先日、NHKが行った「1000万投票 BS20世紀日本の歌」の発表がありましたが、その上位100曲の中に、『天城越え』とともに『津軽海峡・冬景色』も選んでいただきました。本当に歌手冥利につきます。
 『津軽海峡・冬景色』が発売されてからもう21年たちますが、今でも冬になると、いろんな番組でかけていただいたりしています。そんな時ふっと、白いドレスを着て夢中で歌っていた当時の自分のことがよみがえってきます。
 「あの歌で僕は、自立していく女性を書いたんだよ」
 いつだったか作詞の阿久悠先生がそうおっしゃったことがありした。それまでの歌に登場していた女性像といえば「待つ、耐える、忍ぶ」、そういうイメージばかりでしたが、そこから抜け出て、自分の言葉や行動をもって生きていく女性を、阿久先生は雪景色の中に立たせました。
 「さよなら あなた 私は帰ります」
このフレーズだけで、そういうリンとした女性像が浮かんできます。それは、同じ阿久悠・三木たかし両先生による『能登半島』『暖流』にも共通しています。これらの歌がヒットしていた頃、ファンの方々からいろんなお便りをいただきました。
 「さゆりさんの歌、自分の言葉や思いを代弁してくれているようです」
 「あの歌を聴きながら、一人で現地へ行ってきました」
 女性自立という時代の風に揺れながらも、現実生活ではなかなか思い切れない、そのもどかしさが歌の中だと越えられる・・・・そういう思いで私の歌を聴いていただいていたのかも知れませんね。
 歌というのは、本当にふしぎだナと思います。作詞・作曲の先生方から歌い手に渡され、歌い手から聴き手に届けられる、そこから先、聞き手の中でどう流れていくのか、それは予測しようもなく、だからこそ限りなく深い・・・・そう思えます。
 ラジオから流れる21年前の自分の歌声を聴きながら、
 ―――ああ、あの頃は歌にしがみつき、必死で歌っていたんだなァ。
 ふと、当時の自分自身がいとおしくなりなす。
 最初に歌をいただいた時、どう表現するかなど考えるゆとりもなく、ただ無我夢中、聴いてほしい初めての歌にめぐりあえた、その思いだけで一杯でした。それ以後も歌い続け、のちに三木先生に、歌とともに年齢を刻み成長した代表例としてこの歌をあげていただいたことがあります。十代の終わりの年にそういう歌にめぐりあえたことは本当に幸せでしたが、まだまだ新しい出会いが私を待っていたのです。

こころの詩を・・・石川さゆりVol-8


「火の国へ」歌う心はふるさとへ
 『津軽海峡・冬景色』が大ヒットしたのは昭和52年、その翌年には『火の国へ』を発表しました。火の国、つまり私のふるさと熊本を舞台にした歌です。この頃はずっと、私の歌の作詞は阿久悠先生、作曲が三木たかし先生のお二人で、『火の国へ』もそうでしたが、チョット面白いエピソードがあるんです。
 阿久先生は最初に歌を書いていただいた時から、どうやら私を”石川県出身”と思っていらっしゃったようなのです。それで、『津軽海峡・冬景色』のあと、ふるさとの歌を書いてあげようということでできたのが『能登半島』だったらしいんですね。
 なにかの時にそんな話になり、「私、石川というのは本名で、ふるさとは実は熊本なんです」ということをお話ししたところ、じゃ、改めてふるさとの歌をと、『火の国へ』を書いてくださったのです。
 そんないきさつから生まれたこの『火の国へ』も大好きな歌のひとつで、コンサートでは今も歌っています。歌うたびに、心の中でふるさとへ帰るような気がします。
 コンサートといえば、昨年4月にスタートしたデビュー25周年記念コンサートも、そろそろ終わりに近ずいてきました。そのコンサートと並び、もうひとつ私の歌を聞いてくださる皆さんに喜んでいただける事は・・・・と思い、行ったのが私の歌の中から新たにレコーディングをした39曲です。
 全国のレコード屋さんやファンの方々からアンケートをいただき、私のこれまでのすべての歌の中から39曲を選びました。39というのは”サンキュー”、私からの感謝の気持ちをこめたものです。
 デビュー曲『かくれんぼ』から昨年の『歌麿』までの曲の中には、もちろんこの『火の国へ』も入っています。こちらのほうも、ほぼ全部のレコーディングを終えましたが、1曲ごとに当時の自分自身や忘れていたいろんなことが、ふと思い出されたりしたものでした。


20歳を記念してバイクの免許を\plain
 『火の国へ』を出した昭和53年(1978)、私は20歳になりました。人生で一番輝いている年齢でもあり、同時に一番悩みもかかえている年齢、それが20歳ではないでしょうか。
 成人式当日、私はNHKの「青年の主張」にゲストとして招いていただき、自分自身の成人式には出席できませんでしたが、同じ年齢の方々が力強く将来の夢や抱負を語るのを聞きながら、ふと思ったものでした。
 ―――これから自分はどうやって大人になっていくんだろう・・・・歌が好きで今まで夢中になってやってきた。ヒット曲が出るまでは絶対やめないぞって頑張ってきて、『津軽海峡・冬景色』という大ヒットにめぐりあえた・・・・でも、これから先私は、何を見つけて、どうやって歌っていくんだろう・・・・。まぶしいほど輝いているようでいて、でも、まだよく見えない未来。それを前にした20歳の夢と不安を、私もかかえていたのです。
 自分なりに考え、出した結論はこうでした。
 ―――歌を歌っていたせいであれができなかった、これもダメだったという言い訳はイヤだな。そんな言い訳を自分に残すことはしたくない。
 そう思ったとき、パッとひらめいたんです。
 ―――そうだ、原付きの免許を取ろう!
 何とも単純な結論で、おかしいでしょ?でも、何であれ自分で行動し、それを一つずつ形にしたかったんですね。で、運転免許試験場へ行き、原付バイクの免許取得。次の年には、普通免許も取りました。
 こんな単純なことでも、すごく満足感がありました。だれかに決められるのではなく、自分で考え自分で行動することの大切さを、身をもって知ったわけですね。


休日には電話をシャットアウト
 仕事の面でも、そんな自分の考えを活かすことにしました。当時は、朝起きてから夜寝るまで、すべてスケジュールが決められていました。テレビスタジオ、ステージ、インタビュー・・・・と休むまもなく駆けずり回る毎日で、それは歌い手にかぎらず、タレントさん、役者さんも忙しくなった時にみんな通る道です。
 でも、ふっと自分は何をしているんだろうと思うことがあります。ただ決められたスケジュールを消化しているだけじゃないの・・・・このままだと、自分自身を見失うところまで行っちゃう・・・・。
 で、また決めたんです。
 ―――休みの日に、自分で何をやっていいのか分からない状態になるのはやめよう。
事務所に電話しました。
 「オフの日、私に連絡が取れないかもしれません。緊急の場合は別にして、オフの日には電話をしないでください」
 担当マネジャーはびっくりしてしまいました。無理もありません、それまではただスケジュール通りに動いていた私が突然そういったのですから。私の考えを聞いたマネジャーは、
 「そうかァ、さゆりも大人になったんだなァ」
感心したようにいったものです。でも私のホンネは、大人になるため、まずオフだけでも自分でスケジュール管理をしてみよう、ということだったんですね。
 こうして休みの日は完全に私のものになりましたが、といって別に何か立派なことをしようというわけじゃないんです。何をするにしても、またしないにしても、それが自分の意志によること、自分で決めて歩いてみたい。
 で、実際に休みの日に何をしてたかというと、近くの多摩川を散歩したり、赤いバイクを乗り回したりと、実にたわいないんです。でも、そんなことをしながら、それがだれかに決められたのじゃなく、自分自身の意志でそうしているのだと思うと、結構、充実感

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問:石川さゆりさんって どなたと結婚してらしたのですか。
またなぜ 離婚してしまったのでしょうか。
さきほど、テレビで娘と二人家族とおっしゃっていたので
結婚していたことを知りました。
ご存知の方いらっしゃいませんか。

優答
石川さゆりさんは長女が誕生してから、夫の両親、
兄弟の四つの家庭が同じ敷地にそれぞれ家を建て暮らすようになったそうです。
夫の身内と角突き合わせて暮らすのって人間関係とか大変そう。ましてや石川さゆりさんは芸能人。
どうもこの辺に離婚の原因がありそうですね。
元夫の馬場憲治さんは「所さんの目がテン」が放送開始当初のレポーターでした。


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 女性演歌の代表選手が、東京・浜町の明治座で珍しく長期の座長公演を張っている。その実績から確実な動員が見込まれるが、芝居と歌謡ショーという構成に興味がないとの理由で縁遠く、5年ぶりとなる。

 久々の座長公演の芝居の原作は、なかにし礼の直木賞受賞作「長崎ぶらぶら節」。石川演じる、長崎の芸者、愛八が初めて恋した学者(近藤正臣)と廃れかかった民謡を探す旅に出る。歌手の座長公演の芝居といえば、肩の凝らない娯楽作が多いが、今回は本格的だ。安易に笑いをまぶさず、正面から丁寧に男女の半生と花街の人間模様を描く。脚本・演出は金子良次。

 せりふも多く大半が長崎弁。熊本出身の石川とはいえ、覚えるだけで大変だったはずだが、威勢の良さと同時に悲恋に泣く切なさも演じ分け、健闘している。

 原作が骨太で会話一つにも味があり、見応え十分。芝居だけを拡大し、独立して上演しても成立するかもしれない。歌を求めて訪れたファンには重過ぎるのではないかという心配さえ浮かんだ程だ。

 後半のショーも90分超を歌い通す。「津軽海峡・冬景色」などの代表曲が並ぶが、途中でアコースティックな編成でのコーナーを設けるあたりが、音楽的な挑戦心の強いこの人らしい。

 圧巻は、終盤の「風の盆恋歌」と「天城越え」。女心の清らかさと裏腹の強欲さをつややかに歌いきる。生々しい男女の愛憎を歌いつつ、品格を保つ歌唱は映画に例えれば、文芸大作。こうした曲調においては、第一人者であることを改めて示した。

 全編通して、実に力の入った公演。他の座長公演の常連歌手にも刺激を与えるだろう。30日まで。(大野宏)

 ――7日。
(2006年5月11日 読売新聞)

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 15日に石川さゆりの明治座公演「長崎ぶらぶら節」を見た。石川は、ほとんど芝居初挑戦と言っていい。長崎の芸者・愛八が学者と歌探しをする物語。石川は、なかなか、というより、舞台に慣れきった役者のものよりはるかに、誠実な芝居だったと感じた。歌を演じるように役を歌っていた。30日まで楽しめる。(川)

毎日新聞 2006年5月18日 東京夕刊

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 ◇「もし」を考え演じて--1986年

 まだ私も20代の後半で、無我夢中で歌の世界に生きていこうとしていた時期でした。レコード会社は2月に出した「大阪つばめ」に力を注いでおり、7月発売のこの曲は、意外とヒットしていないんです。私は、この情念の世界を思いっきり演じてやろう、役者の意識で歌おうとしてました。

 それは「もしなになにだったら」って考えるんです。そうすると「ピュッ」と魔法のように時空を超えられる。

 ですから、「誰かを殺していいですか」という歌詞のところなんか、本当に人を殺す時の気持ちは?なんて極限までイメージを作り上げたりしたこともあります。でも、今は20代じゃない。同じ歌詞の部分でも、耳元でコケティッシュにささやくのかもしれない、なんて想像ができるようになりましたね。

 もちろん、大切で大好きな歌です。今、東京・明治座の1カ月公演「長崎ぶらぶら節」の真っ最中ですが、当然「天城越え」も披露します。やはり最も盛り上がりますね。ぜひご覧ください。

毎日新聞 2006年5月20日 東京夕刊

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 石川さゆり(48)の全国ツアーが31日、埼玉県・川口リリアホールでスタートした。2部構成で計2時間。第2部は、いきなり古典落語の傑作「芝浜」で幕開け。1人座布団に座りながら、26分間にわたる名調子に2000人の観客は大喜び。その後、「津軽海峡冬景色」など代表曲や新曲「花いちもんめ」を披露。「客席の反応がとても良かったので、今後も落語に限らず、一人芝居を取り入れていきたい」と語った。

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 離婚してから…心境の変化ですか? 自分が守られることがなくなり、子どもを守らなければいけなくなったことです。子どもは「いること」自体が幸せ。最近でいうと、成人式まで無事に育ったことかなあ。

 娘は今年21歳ですが、あまのじゃくだった時期もある。子どもってそういう大変なことの方が多いけど、にっこり笑って「お母さん」と言われると疲れも吹っ飛ぶ。私に毛布をかけるとか、ささやかなことで、「この子の母親になってよかったなあ」と思うんですよ。

 彼女は今、国際問題を勉強してます。自然が大好きで「私は自然保護官になる」と言ってます。私がスキューバダイビングやスキーなどアウトドアスポーツが好きで連れて行った影響かな。

 小さいときは、「お歌、歌いに行かないで!」って泣いてました。ただ、モノを作るのは好きなようで、思いのたけをつづったり、ね。

 私の恋愛観ですか-。自分の世界を持っている人かなあ。

 クリエイティブでもスポーツに打ち込んでいる人でも。言葉巧みで“橋渡し”でお金を稼いでいるとか、軽妙な賢さは嫌い。

 結婚は-もう、そういう形式にこだわる歳ではないのですが、機会があれば恋はしたいですよ。

 でも、いまは私が「日本の女性」の心を歌い、娘といられれば一番幸せですね。

 =おわり

ZAKZAK 2005/12/10

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 地元の熊本では小さいときにバス停の前とかで歌ってましたネ。中学生でフジテレビのオーデション番組に合格。担当者から「あなた、ドラマやらない?」と言われ、「歌手になりたいんです」と言ったら、「いろんな意味で勉強になるからね」と事務所も決まらないまま芸能界デビューです。

 当時は子どもだったのでよくわからなかったけど、芦田伸介さんとか久我美子さんとか、すごい顔ぶれでした。

 あるとき廊下で堀威夫さん(ホリプロ創業者)に声をかけられホリプロ入り。桜田淳子ちゃんとのエンゼルハットコンビ…。実はあれ、意図的ではないんです。2人ともオーディションで帽子を被っていて、それが印象的だったのか、デビューしたら2人とも同じような帽子になっていた(笑)。

 結婚したのは23歳のとき。早すぎますか?

 この世界に若くして入った女性は「何か私がひとりの女性として生きている証を残したい」と思うもの。「結婚しよう」という選択肢もどこかで出てきます。

 私は「歌っているから、忙しいから」という言い訳はしたくなかったし、人生に正解とか不正解はない。

 結婚して人気が落ちてしまう可能性もあるかもしれないけど、今しかできないこと、と思ったんです。

 そのころの芸能界では早く結婚するのはいろいろ言われましたが、最近は芸能界もそれを受け入れる時代になってきた。それはいいことですよ。

=つづく

ZAKZAK 2005/12/10

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 この秋、新曲「居酒屋 花いちもんめ」を出しました。久々にド演歌っぽいですって? じっくり歌える曲なのは確かですね。「花いちもんめ」ってすごいかわいらしい響きがあるけど、どういう内容か知ってますか?

 昔、女の子が売られていく様子を歌ったもの。悲しさや寂しさを背負いながらも、強く生きていく女性をこの歌で表現したい。

 昭和60年に出した「紫陽花ばなし」の続編ですかといわれますが、その曲を作詞していただいた吉岡治先生と話しているときに、「あのときの女の人はどうしたんだろう。幸せになれたのかなあ」という話からたまたまできた歌です。

 大みそかのNHK紅白歌合戦の出場が決まりました。今年は「スキウタ」アンケートをして私の曲がランキングに入っていましたが、この「居酒屋 花いちもんめ」も、皆さまの、これからのスキスタになれるよう頑張りたいです。

 日本女性の美しさって「耐え忍ぶ」とかといわれてますよね。でも、演歌を、そこだけに限定すると、今の時代の人たちに共感してもらえるか疑問です。「津軽海峡冬景色」は今から28年前に出した歌ですが、たぶん女性が主張し始めた初めての演歌なんじゃないですか。

 私の歌に「殺してもいいですか」なんて、女の本性をストレートに出したフレーズが多いのはなぜか-。自分ではわかりませんが、私は自分自身に素直に生きたい-と思ってます。人間、「ま、いっか」という気持ちを持つと困難を通り抜けやすいのですが、私はこの「ま、いっか」という言葉は、自分に対して使いたくない。

 ただ、子どもができてからは、はっきりとはわかりませんが、自分のなかでは一つのけじめができたのは確か。10代で歌手になったころは、歌にしがみついて体当たりする感じで、自分が何かに守られている気持ちを歌っていた。

 それが、今は自分が子どもを守らなくてはいけない。攻めだけではなく、「待つ歌」、「支える歌」も歌えなくてはいけないと思うようになってきた。今は、いろいろなジャンルの歌を歌いますね。

 初対面の方に、「テレビの印象と違って、おっとりしている。男性にモテるのがわかった」なんて言われることがたまにあるんですが、自分ではそんなことまったく感じてないですよ。

 白黒はっきりしているし、スポーツは大好き。自分では男っぽいと思ってますよ(笑)。

=つづく

■いしかわ・さゆり 本名・石川絹代。昭和33年1月30日、熊本市生まれ。堀越学園在学中の昭和47年、15歳でフジテレビ系ドラマ「光る海」に出演、翌年「かくれんぼ」で歌手デビュー。52年「津軽海峡冬景色」で紅白初出場。その後も、「天城越え」や「夫婦善哉」がヒット。56年に写真家と結婚。59年に長女を出産、平成元年に離婚した。今年10月、「居酒屋『花いちもんめ』」(テイチク)、11月にベストアルバム「石川さゆり大全集」(同)をリリース。 

ZAKZAK 2005/12/10

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「歌も料理も、もっとおいしいことないかな、楽しいことないかな、と工夫しながら作っていくのは一緒です」(東京都内で)=増田教三撮影
娘のため毎年手作り

 歌手にとって、年の瀬はかき入れ時だ。今年もディナーショーや歌番組の出演など予定が続いている。そんな年末の押し迫ったころ、時間をやりくりして、毎年手作りしているのが、黒豆だ。

 近所のスーパーで豆を買って、両手鍋に入れる。あくを取り、一晩置いた後、弱火で半日コトコト煮込んでいく。

 「私流の料理にするポイントは黒砂糖を使うこと。甘さがくどくなく、デザート感覚で食べられます」

 さらに千切りにしたショウガも一緒に煮る。香りが良く、煮汁を飲めば、のどの調子が良くなると、気に入っているという。

 14歳でアイドルとしてデビューした。19歳の時に「津軽海峡・冬景色」が大ヒットし、演歌歌手として歩み始める。23歳で結婚したが、歌手の仕事は続けた。

 仕事ばかりで、それまでほとんど料理をしたことがなかったが、「仕事をしているから料理ができないというのはいや」と夫の実家で料理を教わった。年末に出すおせち料理の作り方も一通りそこで習った。そのなかの一品が黒豆だった。

 娘をもうけたが、30歳で離婚。歌をうたい続けながら、一人で子育てをしてきた。「子どものために料理を作りますが、基本的には『働くお母さんのごはん』。普段は時間勝負で手早く作れるものになります」。特に忙しい年末も同様で、頑張って作っていたおせち料理の数も減ってしまった。

 だが、黒豆だけは別だ。「いろんなおせち料理のなかでお正月を一番感じる食べ物だったから」。幼稚園の先生をしていた母親は栄養士の資格も持つ料理上手。子どものころに作ってくれていた母親の味の黒豆の思い出もよみがえってきた。「当時は甘すぎたり、豆にシワが寄っていたりして、あまり好きではありませんでした。それでもあの味を思い出します。母親とは食べ物を通してつながっているんだな、と痛感します」

 この時期の自宅での自分の服装を「くれぼろ」と呼ぶ。「大掃除したり、おせちを作ったりするので動きやすいかっこうがいい」と暮れに「ぼろ」の普段着で過ごすからだ。でも、一歩外に出ると、「歌手・石川さゆり」に変身する。「マイクを持つ手から、煮物のにおいを感じることもあります。テレビを見ている人にはわからないでしょうけど」

 季節を大切にする生活を送るように心がけているが、中でもお正月は特別な区切りだと思っている。「たいしたことではないのですが、新しい下着とタオルを出して使います。そして、食卓には黒豆。ことの始まりを大事にしたいと思うんです」

 21歳になる娘からは「友だちにあげる約束しちゃった。たくさん作ってね」と言われている。言葉だけでなく、自分も食べもので娘とつながっていることを幸せに感じながら、今年も豆を煮るつもりだ。(崎長敬志)



 いしかわ・さゆり 1958年、熊本県生まれ。73年にデビューし、「津軽海峡・冬景色」「天城越え」などヒット曲多数。10月に新曲「居酒屋『花いちもんめ』」を発売した。
(2005年12月6日 読売新聞)

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風帰行かぜきこう

作詞:吉岡 治/作曲:ソン・ミンホ/編曲:若草 恵

風よ 風よ あゝゝ・・

島影が見えたのは 蜃気楼
心の迷いのせいですね
鈍色の海峡は不機嫌で
海鳥一羽も飛ばせない
風よ泣け泣け しぶけよ波よ
雪のつぶてを投げりゃいい
愛しさをつらぬいて
二人の思い届くなら

風よ・・・ 風よ・・・ 吹くだけ吹いて
帰る場所もない 風帰行

優しさと憎しみを ない交ぜて
あの時二人は 季節風
紺碧の海峡はきらめいて
奇跡が起きそな気がしたわ
風よ泣け泣け しぶけよ波よ
雪のつぶてを投げりゃいい
寂しさが荒ぶれて
いまではわたし 砂の舟
風よ・・・ 風よ・・・ 吹くだけ吹いて
帰る場所もない 風帰行


故郷によろしく

作詞:吉岡 治/作曲:岡 千秋/編曲:南郷達也

蜆取っても 貧しくて
身を切る寒さの 十三湖
空から果てなく 降る雪に
このまま春は来ないよな
そんな気がして・・・・
ヒュルルーヒュルルーヒュルルー
風が泣くたびに
上りの夜汽車を思い出す
都会でゲンキにやってると
仮眠のベットで 海老折り寝
棄てた訳じゃない せめて夢で飾れ
故郷に 故郷に あぁ よろしく

月日ばかりか 夢までも
噛って雲つく ビルの街
ネオンに染まった 裏窓に
このまま朝は来ないよな
そんな気がする・・・・
クルルークルルークルルー
鳩が啼くたびに
下りのよぎしゃが 目に浮かぶ
じょんから三味線ききながら
土産をぶらさげ 夢ん中
燃えるあの炉端 せめて夢で帰れ
故郷に 故郷に あぁ よろしく

故郷に 故郷に あぁ よろしく

湯の町シネマ

作詞:吉岡 治/作曲:花岡優平/矢野立美

映画は雨降り 二本立て
おまけに途中で よく切れた
不良と呼ばれた あんた
あんた・・・闇にまぎれてキスをした
夜汽車の汽笛が忍び込む
湯の町シネマは リヴァーサイド
Uh・・・
くちびるだけを置き去りに
湯の町シネマは リヴァーサイド
フィルムはまわる

誰かがドアーを 開けるたび
硫黄の匂いが 漂よった
都会に出たきり あんた
噂もきかない あんた
あんた・・・今はわたしも名が売れて
かもめという名のお姐さん
湯の町シネマは リヴァーサイド
Uh・・・
「嘆きの天使」も色褪せて
湯の町シネマは リヴァーサイド
フィルムはまわる

あんた・・・闇にまぎれてキスをした
夜汽車の汽笛が忍び込む
湯の町シネマは リヴァーサイド
Uh・・・
くちびるだけを置き去りに
湯の町シネマは リヴァーサイド
フィルムはまわる

フィルムはまわる

すっぴんさん

作詞:阿久 悠/作曲:弦 哲也/編曲:南郷達也

薄く紅さすこともある
軽く眉ひく時もある
だけど わたしの一生は
自分を少しも飾らずに
さらりと素顔で生きてきた

そうでしょう いいんでしょう
それでいいんでしょう
すっぴんさんと 呼んで貰えば
嬉しいのです

すっぴんさん すっぴんさん
正真正銘 惚れて損ない女です
♪♪
瞼そめたいこともある
ホクロ描きたい日の暮れも
だけど 本気で逢う時は
はじらう心が桃色に
色づく素顔を見せてきた

そうでしょう いいんでしょう
それでいいんでしょう
すっぴんさんが 街を歩けば
ふり向くのです

すっぴんさん すっぴんさん
正真正銘 惚れて損ない女です

すっぴんさん すっぴんさん
正真正銘 惚れて損ない女です

風花温泉から

作詞:阿久 悠/作曲:岡 千秋/編曲:南郷達也

こんなに深い 山あいに
心を捨てに 愛捨てに
ついでに 涙も一生分
流すつもりで 来ています

晴れた空
紅葉は山の裾を染め
ハラリハラリと風花が
遠い峰から 舞いおりる

あなた いい恋しましたね しましたね
うまくいかない結末も
決して恨んじゃ いませんわ
ああ 風花温泉から あなたへ

湯冷めがきたら 風邪をひく
ひび割れ心 ふるえがち
熱燗しっかり 飲み干して
ひとり炬燵で あたたまる

降る星は
悲しい山の音をつれ
トトントトンと この胸を
夜の底から ノックする

あなた いい恋しましたね しましたね
少し残った未練さえ
今日から明日で 流せるわ
ああ 風花温泉から あなたへ

あなた いい恋しましたね しましたね
うまくいかない結末も
決して恨んじゃ いませんわ
ああ 風花温泉から あなたへ

転がる石

作詞:阿久 悠/作曲:杉本眞人/編曲:川村栄二

十五は 胸を患って
咳きこむたびに 血を吐いた
十六 父の夢こわし
軟派の道を こころざす

十七 本を読むばかり
愛することも 臆病で
十八 家出の夢をみて
こっそり手紙 書きつづけ

ああ ああ
ああ ああ…

転がる石は どこへ行く
転がる石は 坂まかせ
どうせ転げて 行くのなら
親の知らない 遠い場所

怒りを持てば 胸破れ
昂ぶりさえも 鎮めつつ
はしゃいで生きる 青春は
俺にはないと 思ってた

迷わぬけれど このままじゃ
苔にまみれた 石になる
石なら石で 思いきり
転げてみると 考えた

ああ ああ
ああ ああ…

転がる石は どこへ行く
転がる石は 坂まかせ
どうせ転げて 行くのなら
親の知らない 遠い場所

転がる石は どこへ行く
転がる石は 坂まかせ
どうせ転げて 行くのなら
親の知らない 遠い場所


~近松情話~夢の浮橋





作詞:吉岡 治/作曲:弦 哲也/編曲:若草 恵

契らぬ恋でも 罪ですか
比叡おろしの 吹きさらし
つれて行ってよ
ああ つれて逃げてよ 運命のままに
冬の鳴かない こおろぎのように
闇にすがって 泣くおさん

この世で生き恥 晒すなら
いっそあの世で 二世三世
抱いてください
ああ 抱いて崩して 束ねた髪を
帯は裂けても 心は裂けぬ
早く行かせて 浄土まで

一日一生 それでいい
生きて嬉しい 夫婦なら
明日は丹波か 
ああ 明日は雪降る 近江路あたり
夢の浮橋 ふたりで渡る
おさん茂兵衛の 恋すがた


蛍の夜


作詞:吉岡 治/作曲:三木たかし/宮川彬良


蚊帳の中 蛍をはなし
あなたと並んで見ています
蛍の夜は涼しくて
ほのかに蒼い夜の底
仕合せですか?
仕合せですよ
泣いちゃいますよ
泣いちゃいなさい
ほーほー蛍・ほたる
短夜を けなげに生きて
天までのぼれ

ほととぎす 遠くで啼いて
あなたの団扇がまた動く
蛍の夜は夢うつつ
いつやら更けて雨もよい
眠たいですか?
眠たいですよ
起きちゃいますよ
起きちゃいなさい
ほーほー蛍・ほたる
現し世を 漂よいながら
天までのぼれ

仕合せですか?
仕合せですよ
泣いちゃいますよ
泣いちゃいなさい
ほーほー蛍・ほたる
短夜を けなげに生きて
天までのぼれ

現し世を 漂よいながら
天までのぼれ


湯の花KOUTA


湯の花小唄ージャケ

作詞:吉岡 治/作曲:杉本眞人/編曲:矢野立美


ひとつコタツに 情けのふとん

ふたつ違いの 妻ある人と

三月三年 待つ気でいても

よっつ嫁菜にゃ なれぬ花

お湯に咲く花 湯けむり芸者

三味や踊りは 負けないけれど

恋は苦の種 しゃくの種

いつついいでしょ 甘えて泣いて

あとは未練は湯に流す

※チリシャン チリシャン Wow Wow Wow

鶴さん亀さん

チリシャン チリシャン Wow Wow Wow

鶴さん亀さん

手足のばして湯の花小唄



むっつむっつり 陰気なお酒

ななつながなが 居座るお酒

やっつやけくそ 陽気なお酒

急に手を出す 危ないお酒

お湯に咲く花 湯けむり芸者

今日も明るく 手拍子そえて

さばく座敷に 春がくる

とおでトコトン 尽くして痩せて

あとの苦労は湯に流す

※~2回・繰り返し~

おもちゃ

作詞:阿久 悠/作曲:都志見隆/編曲:若草 恵

固いベッドに 身を横たえて
息も細々 夢をみる
死ぬ気 生きる気 どちらが勝つか
朝が来るころ 決められる

人生をめんどうくさいと思ったら
そこから先のページは開かない
恋して おもちゃ 愛して おもちゃ
泣いて 笑って また おもちゃ
運命なんて そういうものさ

ああ 目が覚めた
ああ いい天気
ああ それなら わたし 生きますよ

窓のカーテン 斜めに開けて
体あずけて 空を見る
名前隠して 年齢までかたり
友の一人も ないという

傷ついてそれを辛いと嘆いたら
ふたたび夢の人には出会えない
転んで おもちゃ 滑って おもちゃ
拗ねて お道化で また おもちゃ
神様ならば 遊んでくれる

ああ 気がついた
ああ いい景色
ああ やっぱり わたし 生きますよ

恋して おもちゃ 愛して おもちゃ
泣いて 笑って また おもちゃ
運命なんて そういうものさ

ああ 目が覚めた
ああ いい天気
ああ それなら わたし 生きますよ


悲歌えれじい

作詞:阿久 悠/作曲:韓国民謡/編曲:宮川彬良

ああ・・・ ああ
抱いて眠った夜が
忘られぬ

死んじゃ 死んじゃ いけないよ
ああ たとえ遠く離れていても
あんたの心 置き忘れたままで
時々 夜に泣く

風よ うなれよ
逢うに 逢えない
この海峡を越えて行きたい
あんたを抱きに

けさも 海は 荒れ狂う
人は運命に遊ばれる
はぐれた鳥か 波間の流れ木か
それでも 逢いたくて
逢いたくて

三日つづきの風のあと
虹が海峡 跨いだ日
あんたが来る あんたが来る
そんな夢みて 立ちつくす
髪の毛少し白くして
ああ アリラン
ああ・・・ ああ


花ふたたび


作詞:阿久 悠/作曲:三木たかし/編曲:宮川彬良

春ふたたび 花ふたたび 来年三月
春ふたたび 花ふたたび おそくて四月
また逢いましょう

花は 無情の嵐に散って
水の流れに 運ばれる 運ばれる
山の宴の楽しさも
枝ばなれ した時に
忘れてしまった

どこへ行く 雪どけ水の
冷たさにふるえながら
どこへ行く 川面に群れる
花びらと模様を描き

春ふたたび 花ふたたび 来年三月
春ふたたび 花ふたたび おそくて四月
また逢いましょう また逢いましょう

花のいのちと悲しむよりも
風に誘われ 咲くことを 咲くことを
旅の心の嬉しさを
ひらひらと はらはらと
感じていましょう

誰に会う 蝶々とともに
あてもなく高く低く
誰に会う 子供の髪を
ひと休み 紅く染めて

春ふたたび 花ふたたび 来年三月
春ふたたび 花ふたたび おそくて四月
また逢いましょう また逢いましょう

春ふたたび 花ふたたび 来年三月
春ふたたび 花ふたたび おそくて四月
また逢いましょう

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Photo 村山氏への歌に熱い気持ちを語った石川さゆり
 22日はプロ野球・阪神タイガースの大エースとして活躍した故・村山実氏の7回目の命日。タイガース・ファンならずとも、今なお記憶の中で鮮烈に“生きる”村山氏の歌「昭和名勝負 炎の村山実篇」を歌うベテラン歌手・石川さゆり(47)が、熱い気持ちを本紙に明かした。「阪神が優勝したら、大阪で、甲子園で、ぜひこの歌を歌いたい」―。
 石川にとって「―炎の村山実篇」は思い出深い曲だ。99年4月、石川は歌手生活27年目にして初めて座長公演(大阪・新歌舞伎座)を行った。その際、大阪ゆかりのヒーローの歌を歌って、大阪の人にプレゼントしよう!と企画。作られたのがこの曲だった。
 数人の著名人が候補に挙がったが、座長公演前年の98年8月22日に死去した村山氏の、逃げずに、常に真っ向勝負を挑む生きざまに感銘を受けた石川が“ヒーロー”に決めた。作詞・吉岡治、作曲・岡千秋で99年にシングルリリースされた。
 歌詞にはセリフが付いている。「あの六甲おろしに励まされて、俺はマウンドで燃えつきたんや」「天覧試合有り難う―そやけどあのホームラン、ひつこいようやが絶対にファールやで」といった村山氏の現役時代の思いや「虎の大暴れを天国から見てるでェ」といったタイガースへのエールもつづられている。
 石川は6月、新曲「秋のメルヘン」のキャンペーンのため、大阪でラジオ番組に出演。その際もこの曲のことが話題になった。実は2年前、大阪で阪神優勝パレードが行われた当日、石川は同じ大阪市内で公演中で、この曲を歌い、大いに盛り上がった。
 2位の中日に4ゲーム差で首位を走る阪神の優勝に備え、石川は虎柄の着物と「優勝」の文字と虎の絵が入った帯を用意して“その時”を待っている。
 「今のタイガースの強さの中に、村山さんの魂は受け継がれていると思う。大事な人を色あせることなく、ずーっと思い続けることは大事です」―。石川は全身全霊を込めた“ザトペック唱法”を、甲子園のファンに披露するつもりでいる。

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「境界亭日乗」の記事(土)読みましたか?嬉しい記事が載ってますよ。
月刊「カラオケファン」に11月号から、石川さゆりの連載2年間24回が決定!!(五木ひろし 俺の山河は・・・の後を受けて)楽しみですね!!
書店に置いて無いので、発行元に注文しなくては??

みやさん、コンサート頑張りましたね。当分?無いことは寂しいです。9月のビッグショーで我慢しましょう。
  Re: スクワットやまさんのHP 投稿者:みや - 2005/07/09(Sat) 17:58:11
情報有り難うございます。
こりゃー定期購読ですね。

カラオケファンは↓のページから定期購読できますよ!

http://www.muse-s.co.jp/

砂山 發表在 痞客邦 PIXNET 留言(0) 人氣()

石川さゆり会報の打ち合わせで「今号は特別なニュースがないのよぅ~」で、閃いたQ&A企画。
さゆりさんと陽だまりの縁側で、のんびり“言葉遊び”でもするように、
時にジョークやウィット混じりでいろいろと応えていただきました。
会報NO.26分を、ここに収録です。

Q 最近「くの字」で寝たのは?
ふふっ、毎日“くの字”“川の字”で寝ていますよぅ~。娘と猫のトマトと一緒にネ

Q オバさんだぁ~と感じる時は?
娘に…そう言われたとき

Q きれい、可愛い、艶っぽい、美人…どう言われるのがお好き?
かっこいい!

Q 着物は何着持っていますか?
いっぱい・いっぱい(数え切れないの意)

Q 写真は左右どちらから撮られるのが好き?
左から

Q キレイの秘訣をひとつ?
ふふふっ…。それはネ、毎日ちゃ~んとお風呂に入ること

Q 好きな地方都市は?
京都の町並み、大阪の通天閣

Q 携帯電話の文字入力?
出来るよぅ~

Q 洋服ファッションのこだわり
素材、マテリアル

Q 年上、年下…どっちの男性が好き?
素敵ならどっちでもOK

Q 帯締めが斜めのワケ?
かっこいいかなぁ~、細く見えるかなぁ~と

Q よく観るテレビ番組?
ニュース、ドキュメンタリー

Q 別荘なら山、海どっち?
う~ん…、海かな

Q 江戸時代に生まれていたら?
職人の娘がいいかなぁ~。例えば簪(かんざし)作り職人の…

Q 色っぽい秘訣?
まずは元気で健康が肝心

Q 年金の使い道?
貰えるのかしら…。貰えたら、旅行費用にしよっと

Q 遊びに行きたい外国は?
アフリカ、ベトナム

Q スーパーには?
主婦だもの行きますヨ。私が行かないで他に誰が行くのぅ~

Q 逆立ちが出来ますか?
出来ます

Q 腕立て伏せは?
かなり出来ます

Q ブリッジは?
出来ます。ほんとぅ~だって。体操部だったんだもの…

Q 隠居したら?
歌、陶芸…とにかく何かを作ることを楽しみに暮したい

Q『天城越え』のエビ反り練習?
やっていますヨ。題してマトリックス・ストレッチング

Q お酒が入ると?
明るく楽しいお酒。気心知れた友達と呑むお酒が好きです

Q 最近したスポーツ?
ジムでのトレーニング

Q 陶芸、ダイビング他の趣味?
ガーデニングかな

Q 俗曲の先生?
築地、神楽坂、浅草の御姐さん方。生で聴くのが一番です

Q 40周年のさゆりさん?
いじわるぅ~。今の歳に十を足せばいいでしょ

Q 好きな自分の年代?
いつも今が好きだから、今は40代の私が好き

Q 同級生とは?
中学時代の友達と、時には小旅行したりしますヨ

Q 回転寿司?
行ったことがありません

Q 100円ショップ?
行った、行った

Q ドンキホーテ?
行った

Q 最近、読んだ本?
「声を出して読む日本語」面白かったヨ

Q 男だったらどんな人生?
わかんなぁ~い!!

Q 好きな料理?
和食

Q 自宅で着物は?
ほとんどなし

Q 地方の好物?
京都・お漬物。仙台・牛タン。沖縄・ゴーヤ。北海道・ジンギスカン。熊本・馬刺し。福岡・モツ鍋

Q ダイエット?
フン!昔も今も太ったことなんかありませんよぅ~

Q 巨乳だったら?
重さに耐えられないかも

Q 出演したテレビは?
だいたい観ています

Q 選挙?
ちゃんと投票に行きます

Q 気になるエコロジー?
ゴミ問題

Q 定期購読誌
家庭画報、和楽

Q キーボード
ブラインドタッチじゃないけれど、一応は出来ま~す

Qもし、なるんだったら作曲家、作詞家、編曲家、演奏家?
ぜぇ~んぶ

Q 仕事を辞め結婚してくれと言われたら?
歌に勝るほど素敵な男性が現れたらネ。

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 「二十世紀の名曲たち」シリーズもいよいよ最終巻の第10集発売が近づいてきました。私も皆さんと同じようにこのシリーズが大好きで、いままでのものを繰り返し聴いています。
この機会に、二十世紀の名曲たちとしてとりあげられている全99曲(第9集まで)に関して、ちょっと統計的なものを調べてみました。

年代別:
1925年以前 6曲,1926~30年 5曲, 1931~40年 16曲,1941年~50年 21曲,1951~60年 23曲,1961~70年 20曲,1971~80年 5曲,1981~90年3曲,1991~2000年0曲
(*)70年代に青春時代をおくったものとしては、もっとこの時代の歌が選ばれてもいいのではと思っています。青春時代、神田川など。

オリジナル歌手別:
東海林太郎 4曲,三橋美智也 3曲,渡辺はま子 3曲, 和田弘とマヒナスターズ 3曲,
2曲選曲された歌手- 春日八郎,坂本九,平野愛子,江利チエミ,灰田勝彦,岡本敦郎,岡晴夫,伊藤久男,ディック・ミネ
(*)東海林太郎の歌は私個人としては好きなので、さゆりさんの声で聴くことができるのを喜んでいます。意外なこと(?)は、コロムビアの先輩歌手たちについて、美空ひばり1曲(それも「真赤な太陽」)、島倉千代子・都はるみは選曲なしということです。

作曲家別:
服部良一 8曲,いずみたく 3曲,中村八大 3曲,中山晋平 3曲,吉田正 3曲,渡久地政信 3曲,陸奥明 3曲
(*)やっぱり服部メロディが一番です。第一集では1940年代の服部メロディ5曲がふくまれています。この第一集は本当に素晴らしい。昔の曲の良さを私たちに再認識させてくれる。ただ残念なことは、もはや、CDは入手できないことです。テイチクさんに、コロムビアさんと交渉してシリーズ完結記念とかでなんとか再発売してもらえないものでしょうか。

作詞家別:
佐伯孝夫 7曲,永 六輔 5曲,岩谷時子 4曲,佐藤惣之助 3曲,藤田まさと 3曲.
(*)永六輔さんの作詞が5曲もあるとは、驚きですが、曲名(女ひとり、遠くへ行きたい、黒い花びら、上を向いてあるこう、見上げてごらん夜の星を)を知れば納得します。さゆりさんと付き合いが長い吉岡治さんからは2曲(真赤な太陽、八月の濡れた砂)です。阿久悠さんは、1曲(ペッパー警部)だけです。

(*)その他: さゆりさんの「二十世紀の名曲たち」シリーズ99曲をとおして、私は多くの曲を知ることができました。確実にこのシリーズで初めて知ったといえる曲が27曲、初めてのような気がするが確実ではない曲が6曲です。約3分の2の曲はきいたことがあるということで、70年代に青春時代をおくった人間としては、まあまあ普通レベルでしょうか。
 また、ファンとしては、いままでの選曲にさゆりさんの好みがどの程度反映されているのか知りたいものです。どのような方々が選曲をされているのか、著作権の問題で使用許諾が得られず選曲からはずしたものがあるのかなども興味のあるところです。

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請尊重原圖版權
石川さゆり!在台灣紅嗎?
喲!沒人知道耶!不會吧!

1.因為名字難唸吧
(謎之聲:不會呀)
後三字怎唸,你告訴我呀!

さ-ゆ-り = SA-YU-RI = 小-百-合

台灣人沒學過日文怎知道!
難怪哩...
大大影響其知名度了。

2.台灣偏好的是POWER系演歌,如:
北島三郎
細川たかし
美空ひばり
天童よしみ...



石川這種文藝演歌路線...
還可跨界唱
流行歌:●さよならの翼
爵士風:●ウイスキーが、お好きでしょ

輸了...~(在台灣人的眼中嗎?)怎麼會???
中量級拳王打不營重量級的XYZ-那是定律嗎?

所以台灣人知道她的事情不多
只有
津軽海峡冬景色

♪ 上野発の 夜行列車 おりた時から~

了不起的還有
天城越え

♪ 隠しきれない  移り香が

沒了,謝謝,謝謝大家,真的沒了...

題外話:
名字寫成漢字=小百合
啊!讓我想到吉永小百合
了不起的女優
石川本名:絹代
讓我想到田中絹代
另一位大物女優!

石川這個姓倒是有很多可供聯想的
石川縣
能登半島...

(●能登半島 阿久 悠 作詞 / 三木 たかし 作曲 )

♪ 夜明け間近 北の海は 波も荒~く

可是聽說阿久悠老師是真的搞錯了!!!

石川她是熊本縣的人吧
八代亞紀一樣,是同鄉
WHY?熊本縣叫火之國WHY?
因為有火山_阿蘇山

(●火の国へ
阿久 悠 作詞 / 三木 たかし 作曲 )

♪ あなたなしでも~  生きられる
♪ そんな女に なりたいと


kenrokuen
另:能登半島還有美麗的兼六園
砂山去過的哩!


嗯,所以,她是關西人所以才支持阪神虎隊吧。
關東人是不可能派去唱阪神加油歌的
(●昭和名勝負 -炎の村山実篇- 吉岡 治 作詞 / 岡 千秋 作曲)

♪ 虎 虎 虎 虎 虎 虎 虎 虎 !~(啥子?TIGERSX8)

石川一點點不太適合耶...ㄏ

因此元氣一杯的
關西風的演歌
成為絕響,殘念...

不若韓國風
●風帰行 作詞:吉岡 治/作曲:ソン・ミンホ
●悲歌(えれじい)作詞:阿久 悠/作曲:韓国民謡)

或沖繩風
●残照恋鏡
●花ふたたび 詞:阿久悠/作曲:三木たかし
●昔美しゃ 今美しゃ

相信以後還是聽得見!YA!

転がる石

●転がる石
転がる石=滾轉的石頭
是阿久悠老師的自傳性小說的書名
連結在此

『転がる石』作詞:阿久悠/作曲:杉本眞人
連結在此

♪ 転がる石は どこへ行く
♪ 転がる石は 坂まかせ
♪ どうせ転げて 行くのなら
♪ 親の知らない 遠い場所

也是石川小百合出道30週年的紀念單曲
氣勢萬千
艾瑞克克萊普頓風吉他(?)
烘托出的一首爆裂大作
前所未有的果敢低音轟然
據說2004演唱會有此曲之ACOUSTIC版

MV在此


嚴正警告:石川的MV-很沒看頭
原因有二:
1.沒花什麼錢,不知道在省啥?
2.MV對嘴,不若現場LIVE的效果好。

NHK歌謠演唱會才是王道
紅白歌合戰才是王道中的王道
沒有合唱/舞群/背景/機關/後援隊
石川一向只有一個人
一隻麥克風
單純以歌唱實力取勝...請看紅白歌合戦の旅

這次就這樣,下次不知何時再見了!

相關站內連結:
吉岡治「天城越え」
人生の仮想舞台 『津軽海峡冬景色』
人生の仮想舞台 『天城越え』
砂山站主整理--石川さゆり(石川小百合)的連結

資料來源:
週末大島暮し
旅情


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二十世紀の名曲たち(9)
這不是/開玩笑/我覺得/嗯...唉呀/該不會/搞不好/全台灣/只有我/一個人/是她的/FANS吧!!!
更新日期:05/06/05
taidan_photo.jpg

図:石川小百合vs中島誠之助(開運鑑定團大老)
---研究古伊萬里中


ps 如果你看不到下面的日文字
嗯...可能點進去也...看不到
因為都是日文站
所以先說聲抱歉了


石川さゆり ホームページ
公式站
不定期活動更新
連結在此
http://www.ishikawasayuri.com/

焦點頁面:
1.さゆりの部屋
她的部落格?

2.大峽谷南北橫斷四日間大健行特集
...




こぶしdeねっと / 石川さゆり
公式站二
唱片公司teichiku所設
作品及活動情報
連結在此




★Enka Diva Sayuri★
揭示版by高中生
連結在此
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=MU&action=m&board=1835049&tid=a1zenkadivasayuria1z&sid=1835049&mid=1&type=date&first=1




★20代だって、さゆりちゃんが好き★
最大揭示版
連結在此
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=MU&action=m&board=1835049&tid=a1za32a30bea4c0a4ca4fa1a2a45a4fa4ja4aa4ca4sa4ac9a5a4ada1z&sid=1835049&mid=1&type=date&first=1




旅情(石川さゆり)
70年代資料
電視資料
個人遊記
連結在此
http://homepage1.nifty.com/sayuri/

焦點頁面:
二十世紀の名曲たち
2000年第42回日本レコード大賞「企画賞」受賞
專輯與曲目列表
私以為此系列是人類之宝,世界遺產,ㄏㄏ




批評.com : 石川さゆり
曲目樂評
資料連結
連結在此




★石川さゆり恋模様 掲示板★
高手的
不過很冷
舊時代的資訊
雜誌剪貼
精闢樂評
連結在此
http://www.interq.or.jp/www-user/soeda/pbb_sayuri/wwwbrd.html




music.co.jp - 石川さゆり
神秘mp3
有錢還能download
在舊錄音
都已經被毀得差不多的情況下
彌足珍貴
連結在此
http://sound.music.co.jp/soundware/bin/qfind3.asp?master_id=JPN-MCJ-2000-00000262




さゆり銀河
週六日開張
連結在此
http://www.h4.dion.ne.jp/~take3/




石川さゆりファン手帳
時間表
排行榜
還有超難問題
連結在此
http://homepage2.nifty.com/syr-no1/

焦點頁面:
Sayuri Quiz
超難問層出不窮
例--問:石川さゆり是在哪裡舉辦結婚儀式的? 答:明治神宮
(人家離婚都十多年了...)




さゆり文学 和風の美
歌詞解析
文藝素養高的
連結在此
http://www.sayurix.com/~ringo/




石川さゆり情報・日記
(疑似)工作人員
最快最準的時間表
連結在此
http://www.nowphoto.co.jp/newpage15.htm




「五木★さゆり倶楽部」
(疑似)工作人員
fan club or 宣傳的文章
連結在此
http://www.din.or.jp/~squat/ooshima/enkanikki.htm

焦點頁面:
『陽だまり問答』
瑣瑣碎碎的生活問答
粉絲們看了會心一笑...

Q 仕事を辞め結婚してくれと言われたら?
歌に勝るほど素敵な男性が現れたらネ。




Yahoo!検索 - 石川さゆり
Yahoo!王道
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http://search.yahoo.co.jp/bin/search?p=%C0%D0%C0%EE%A4%B5%A4%E6%A4%EA&fr=top&search.x=32&search.y=10




GOOGLE.CO.JP
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石川さゆりホームページ2
情報
揭示版
Archives x2保留舊站
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1.石川さゆりプロフィール
詳盡年表

2.こころの詩を・・・
自傳文章
週刊読売
約十年前刊登的吧





Yahoo!オークション-----石川さゆり
Yahoo!拍賣
有趣的嗎
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http://search.auctions.yahoo.co.jp/search/auc?p=%C0%D0%C0%EE%A4%B5%A4%E6%A4%EA&alocale=1jp&acc=jp&hc=0&hs=0




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CD本身就3000日幣了...
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就花了我近
1000大洋啦
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我哭了
真的
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こころの詩を・・・石川さゆり
砂山閑聊石川さゆり二三事
...

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