2009年6月25日、マイケル・ジャクソンが此の世を去りました。
私と主人昭夫が、マイケルの公演を初めて観たのは、1987年横浜スタジアムの時でした。彼の音楽、そして抜群のダンスに魅せられて、私共は東京の自宅から横浜スタジアムへ、公演後はそのままウィークエンドを、別荘で過ごすべく箱根湖畔の家に向かいました。
現在のように携帯電話もなく、道路事情も悪く、夜半に別荘に着いた私のところに東京の家から電話がかかり、先程からマイケル・ジャクソンのマネージャーか ら度々電話がかかってきて、是非、ミスター盛田と話がしたいので、何時でもいいから電話を下さい、とのこと。私は急いで彼のホテルに電話をしました。
彼は、「今日、ミスター盛田が来て下さったことのお礼を言いたかったのです。そして今日は自分が100%満足のいくショーが出来なかった。声も出な
かった。次回の公演には必ず今日以上のショーをお見せしたいので、是非又おいでいただきたい」と言って幾度も謝っていたそうです。
アーティストには、これが最高ということはありません。いつもいつもより良いものを作る努力をしています。それを人はわがままと言うかも知れません。
この後、彼は日本滞在中、ちょうど私の誕生日の自宅のパーティに参加してくれました。それがここに載せてあるスナップです。
ベジタリアンでほとんど肉・魚を食べない彼はご覧のように、私が用意した季節の果物 『二十世紀』、大皿一杯の梨を一人でかかえて食べてしまい、とうとう私共同席の者には一つも口に入らなかった記憶が甦り、今でも我が家の話題の一つです。
彼は我が家にある昭夫のおもちゃである自動ピアノやオルゴール、ミニチュアのストリートオルガン、さてはエジソン記念館から贈られた珍しいローカンのエジソンレコードを見つけて、一晩中子供のように楽しんで過ごしました。
この日本滞在中に、彼はソニーの本社、信濃町にあった当時のCBSソニースタジオ、ソニー・メディアワールド、銀座ソニービル等を訪問し、新しいソニーの製品の数々を手に取っては、次々と質問する何にでも興味を示す好青年でした。
私達は、お約束通り、1992年東京ドーム公演に招待され出掛けました。楽屋ではいつもオフィシャルな写真が撮れるようにスタジオが出来ており、いつも素敵な写真を撮っては数日後サイン入りで送ってくれたものでした。
1996年12月、ヒストリーツアーが東京ドームで開催されました。その時は、昭夫は既に病に倒れていましたが、どういう経緯か忘れましたが、私は彼の泊 まっていたキャピトル東急に迎えに行き、同じ車に乗ってドームまで走りました。車の周りをファンの車が囲み、タクシーで追いかける人もありました。車が赤 信号で止まる度に窓から、紙切れ、ハンカチが渡されます。彼は快くそれを受け取って、急いでサインをして、それをファンの方に渡すのは私の役目でした。 キャピトル東急からドームまで幾人の人にサインしたか、彼は嫌な顔一つ見せず、喜んでサインしている姿を隣で手伝いながら、この人って本当に心の優しい人 なんだなと、つくづく思いました。
彼は昭夫に会うことを本当に楽しみにしていました1995年「ヒストリー」が発売されました。その折彼は、昭夫の為に特別な盾を作り、アルバムにもサインをしてプレゼントしてくれました。
彼の送ってきた盾には、
“THIS ALBUM
OF MY MUSIC WARMLY DEDICATED TO AKIO MORITA… 永遠の友情 FOR OUR EVERLASTING
FRENDSHIP. WE ARE LIVING IN THE SAME DREAM FOREVER… WITH ALL MY LOVE”
と書かれております。
1993年10月、昭夫が病に倒れたその時、海外から一番初めに届けられたメッセージは、マイケル・ジャクソンからのものでした。
それ
は彼自身が作ったヒーリングテープでした。
彼は彼自身の声で幾度も「ミスター盛田、ミスター盛田…」と呼びかけていました。「あなたは必ず良くなる。必ず話せるようになる…」。そして、彼の選んだ
静かな曲が流れます。再び又同じ様に「ミスター盛田、…」。彼の呼びかける声が幾度も繰り返されるテープでした。そのテープの箱には彼自身の手書きで次の
ことが書かれていました。
『これを朝、昼、晩にかけて聴いて下さい。マイケル・ジャクソン』と。
私は、昭夫が朝起きる時間の10分前からこのテープをかけ、そして夜ベッドに寝かせてからこのテープが終わるまで聴かせて休ませることにしました。これは、6年余の間、昭夫が亡くなるまで、毎日続けられました。
1998年、ハワイ、ホノルルでマイケルの公演がありました。車椅子の主人を押して、このショーを観に私はホノルルのアロハスタジアムに出掛けました。
翌日、彼は私共のハワイの別荘に見舞いに来てくれました。昭夫が顔をくしゃくしゃくにして喜んだのは、申すまでもありません。今もその時のマイケルの優しい姿を思い出します。
昭夫が世を去って10年。
今頃、マイケルは彼が最も尊敬する先生であり、心の友でもあった昭夫に、彼がいつもしていたように、「どうし
たら若い人達の心を掴むことが出来るだろうか」「どうしたら自分はもっともっと尊敬される人になれるだろうか」「誰を信じたら良いのだろうか」とマイケル
の質問攻めに合っていることでしょう。
誰も信じる事が出来ず、子供に動物に安らぎを見出していたマイケル。
今天国にあって、静かな安らぎの中に、誰に気を遣うことなくゆっくり休んでいるのでしょう。
“アイ ニード ユア ヘルプ” 幾度も彼から電話が私に掛かって来ました。丁度10年前のことです。私はあの時、どうしてもっと彼の本当の声を聴いてあげなかったのか、と今悔やまれてなりません。昭夫の病状が一番悪い時で、私にはその余裕がなかったのです。
ごめんなさい、マイケル。
でも、私は今、あなたは誰の助けもいらない幸せな世界に居られると信じております。
2009年7月7日 盛田良子
友:砂山...喵的...你害我想哭了... 砂:喵!我也哭了
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